パースエクスプレスVol.110 2007年3月号

「『デジカメ』一考−その4−」

 脳の指令が肥大化することによって、思考が身体に先行することによって、肉体は脳ミソの付属物として扱われるようになってきているのではないだろうか。身体性が失われる、というのはそういうことではないか。
 デジタルというのは、あやふやさを排除する。脳もあやふやさや不安定さを排除しようと努める。だから脳は、その宙ぶらりんを回避するために考えようと努める。デジタル(データ)は変わらない。同じまま。実体もない。脳も(思考も)それだけでは、実体がなく変わらない。歳をとらない。だが、身体は否が応でも変化し、老化していく。
 しかし人間は、我々は、年を取るのだ。老いるのだ。デジタル化というのは、そういう変化を人間から奪い去ってしまっている(ような気がする)。

 自然に逆らうことになっている。それが、良い悪いというのではなくて、今はそういう時代なのだ。
 −という事を、書き始めて、ようやく思い出した。ああ、そうか、こんな事を書きたかったんだな、と。そう、実際に、キーボードを打ち始めて、ようやく思考がついてきた。まさに、実際に身体を動かす(この場合は指だけど)ことによって、考えがあと追いしてきたのだ。つまり、頭だけで考えて生み出されたモノは身につかないみたいだが、身体の細胞を伴って覚えた感動や思考は、時間がたっても簡単に消え去ることはないようだ。身体の奥深く染み着き、その人の血となり肉となっているようだ。

※「『デジカメ』一考−その1−」は、本誌Vol.86(連載シリーズ61)に掲載。「『デジカメ』一考−その2−」は、本誌Vol.87(連載シリーズ62)に掲載。「『デジカメ』一考−その3−」は、本誌Vol.108(連載シリーズ83)に掲載。共に弊誌ホームページにて閲覧できます。

 

   

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