苦しんでいたということは、それだけ目の前の出来事に対処しようとしていた証でもある。その態度を純粋な態度と呼べないこともない。その純粋さを子どもの特性と思いこんでいるのかも知れない。
子どもに優しくなるということは、彼ら彼女らにちょっとした逃げ場を作ってやることだと思う。これは子どもに対してだけではなく、普段接する大人に対しても言えることかも知れない。
さらに、子ども時代を経てきた我々が学んだことは、現在直面している問題も過ぎ去ってしまえばそれほどたいしたことはないのだ、と思うようになることではないか。視野が狭くなってしまうと、何事も上手くいかないものだ。
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選択肢をたくさん持っていることに、どのようにして気づくか。それが大人の振る舞いの一つの証でもある、と思う。
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