1988年に民主化運動が起るまでのビルマは、「ビルマ社会主義」を標榜し、厳しい鎖国政策をとり続けていた。その結果、経済は破綻し、当時の軍事政権は崩壊した。その「ビルマ社会主義」の期間、隣国タイとの密貿易を支えたのが、カレン州の州都パアンとタイ国境の町メソットに接するミャワディ間を走る約143㎞の道路であった。そこは、外国人の立ち入りが許されない区間であった。しかも、タイ国境に接するビルマ側の地域は、道路整備がほとんど進んでいない。その一番の理由は、両国の国境周辺で、現在の軍事政権(SPDC=国家平和発展評議会)に対して、「少数民族」の一つカレン人が、KNU(カレン民族同盟)を組織し、武装抵抗を続けているからである。
SPDCのナンバー3であったキンニュン前首相は、80年代末から各少数民族と和平協定を積極的に進めていた。ビルマ人に対し極めて不信感の強かったKNUも2004年2月、キンニュン主導で和平交渉の「準備」を始めた。ようやく国境地帯で、平和への期待が生まれた。だが、その約半年後、ビルマの独裁者タンシュエ評議会議長によって、キンニュン首相は左遷された。和平交渉の準備は、出発点に戻ってしまった。
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