「アジアハイウェイ−ビルマ/タイ・ルートを行く(その2)」

<国境の内戦>
  KNUは1994年12月、SPDCの画策により内部分裂を起こした。KNUから分かれてDKBA(民主カレン仏教徒軍)という軍事組織が生まれる。それ以後、カレン州内での戦闘は、「KNU軍」対「SPDC+DKBA」という構図で戦渦が広がった。州都パアン市内では時々、M16自動小銃を抱えた10人ほどのDKBA兵士を見かけることがある。そこは、一つの地域の中に2つの軍隊組織が入り交じる、いびつな地域でもあった。

  もっとも、地理的・民族的な状況から、カレン州のタイ国境一帯は、DKBAの勢力範囲とされていた。優勢な銃器を保持するSPDC側は94年以降、カレン州内の主要道路やタイ国境に通じる道を抑えた。それに対し、KNU軍は、もっぱらゲリラ戦に転じるしかなかった。長期間におよぶ内戦で、KNU側は、年毎に弱体化していく。KNU側が50年以上の武装闘争に耐えてこられたのは、「アジアハイウェイ」を通る多くの密貿易業者への課税であった。その金額は、年間数十億円を超えていたという。ところが現在、戦闘継続の財源であった国境の要所は、ことごとくSPDCに奪われてしまった。KNUは経済的に苦境に陥っている。

 2004年2月、パアンからこっそりDKBAの司令部に行く機会を得た。偶然、車にヤンゴンからの商社員(ビルマ人)が同乗することになった。

  「実は今、ミャワディの近くでアンチモン掘削の準備が進んでいるんだ。軍のナンバー2のマウンエイ将軍の許可を得て活動している。韓国の企業から話があり、DKBAとも話をまとめる必要があるんだ。売り上げの取り分は、SPDC 4割、DKBA 1割、KNU 1割、韓国企業4割という話でまとまってる」

  政治的には衝突している各組織だが、仲介者が上手く立ち回ることによって、経済的に折り合いがついているのには驚いた。

   


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