「『赦す』ということ 」

 「お昼をどうぞ」
 発掘の現場にいる人には、誰にでも、分け隔て無く昼食がふるまわれていた。
 軍部と極めて強いつながりのある地主に雇われ、コンクリートの壁を作っている作業員にも声がかけられていた。実際のところ、その壁を作っている作業員達は、インディヘナ達にとって、自分たちの発掘をじゃまする立場をしているのだ。だが、時に冷たい雨の降る山の中の作業は、発掘にしろ壁作りにしろつらい仕事なのだ。いつも冷や飯を喰わされるのは、現場で働く人々なのだ。作業員達も生活のために地主に雇われたに過ぎない。そうせざるを得ない状況を、インディヘナの彼女達は、そのことを十分に知っている。厳しい状況を生き延びてきたからこそ、心配りができるのだ。

 心配りと簡単に言うけれど、自分達の肉親を殺した加害者(に加担する者を)を赦すという行為は想像を超えている。だが、彼女達が指弾しているのは、実際に虐殺を行った者よりも、それを命令した者、それを見過ごしてきた社会システムを告発している。その行動の源になっているのは、自分達の苦しみや悲しみを乗り越え、正義や公正が通用する社会が来ると信じているからだろう。
 今、世界を見渡してみても、どこかしこで、民族・宗教・人種・経済格差・資源争奪、さまざまな原因で紛争が起きている。あちこちで絶えず、憎しみの連鎖が増幅、再生産されている。どこで諍いが止むのか。
 

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