「『デジカメ』一考②」

 そんな風に仕上げたフィルムから、全然期待できないイメージを印画紙に焼き付ける作業ほどむなしいことはない。なんで、こんな写真しか撮れないのか。自分が頭の中でイメージした像と出来上がりはなぜこうも違うのか。どうして自分の思い描いた写真が仕上がらないか、次第に考えるようになった。そうやって、数え切れないほどの失敗を繰り返した。ゆっくりと、時間をかけて、失敗から学ぶことを身につけた。
 それから約13年後、「デジカメ」が一般的になってきた。「デジカメ」は、撮影時の失敗を許してくれる。その場で、簡単に撮り直しが可能なのである。あまりにも安易な表現かも知れないが、「デジカメ」は失敗から学ぶ、ということを奪い去ってしまったのではないか、と。

  それは、そのことが良い悪いということではない。フィルムカメラは良かった、昔は良かった、という価値判断から言っているのではない。「デジカメ」とは、そういうモノであり、そういう時代の要請から作り出されたものであるであろう、ということが言いたいのだ。
  写真撮影がうまくなるコツは、私のように生まれもって才能のない者は、できるだけ枚数を多く撮ることでしか上達できない。それ故、時間もコストも大幅に軽減させてくれる「デジカメ」の登場は本来、喜ぶべきなのであろう。だが、何か釈然としないのである。失敗することを怖れることなく、枚数を撮ることのできる「デジカメ」は、失敗からのストレスを解放させてくれた。だが、何か、引っかかる。
 

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