「『デジカメ』一考②」

 最初は、シャッタースピードや露出の技術的な失敗の繰り返しが続く。やがて、自分では結構いいと思った構図が、写真がいざ出来上がってみると、全然面白くない構図だったりする。シルエット気味に撮ったイメージが露出不足で真っ黒になったりした。自分のイメージ作りの失敗が続いた。
 フィルムカメラ時代は、失敗から何かを学ぶということができた。だが、「デジカメ」にはそれはできないのではないだろう。
・・・だが、果たして、そんなに簡単に言ってしまえば身も蓋もないのではないか。ここまで書きかけて、そういう展開も何かおかしい、ということに気づき始めた。

 そうか。 フィルムカメラ時代の撮影や記録の意味合い基準で「デジカメ」時代のそれを判断すること自体がおかしいのかも知れない。フィルムカメラと「デジカメ」という比較がおかしいのだ。そんなことより、ある一つの時代の中の現象をどう判断するか。その判断基準をどう設定したらよいのか。それはその時代のだけでしか規定できないのではないか−「デジカメ」が出現することによってそのことを考えさせられた、ということなのだ。
 その大型カメラには、シートフィルムを1枚ずつ装填し、撮影する。フィルムシート1枚は、5インチ×4インチ(12.5cm×10cm)という大きさだ。扱いにくい。現像方法は、自分の手を薬品の入ったトレイにつけて、フィルムを一枚ずつ現像する。撮影も手間だが、現像も手間である。
 

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