嫌われているのではないのは分かっていた。暑さで、汗まみれになりながら食事をしていると、座っている私の後ろにいつの間にか立って、手作りの団扇をあおいでくれたこともよくあった。「涼しいなあ。タブルー(ありがとう:カレン語)」って言うと、愛らしい笑顔で答えてくれた。
96年のキャンプ再訪で、ほんのわずかだが言葉を交わすことができるようになった。それでも、何か話しかけようとする私の雰囲気を察すると、さっと姿を消していた。その年は一度だけ、緊張した顔を2枚だけ撮すことができた。この難民キャンプでの滞在は、彼女の写真を撮るのが取材目的ではなかったが、それでもいつか、カレン女性としての彼女の姿を写し取って帰りたいと思うようになっていた。
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大きな雨傘を日傘代わりにして、タエポーが小走りで追いついてきた。小首を傾げ、一言も発することなく、笑いながら、「やっと追いついた」っていうように、ほっとため息をついた。
キャンプ内の退屈な毎日に飽き飽きしていた97年の春、象を飼い慣らしているタイ・カレンの村が近くにあると聞き、一人でその村に向かっていた。いくら山奥の村といっても、やはりビルマ・カレンの人たちは「不法在留の」避難民だから、付き添いを頼むわけには行かなかった。途中でタイ軍やタイの国境警察に見つかって、うるさく言われるかもしれないだろうし。とりあえず地雷の心配のないタイ領だからと思って一人で出かけた。診療所から戻ったタエポーは、私が一人で出かけたと聞いて後を追いかけて来たそうだ。
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