ビルマ軍による猛攻撃によってKNUの総司令部が陥落した1995年、国境に近い彼女の村も安全ではなくなった。5000人近いカレン人と一緒に、彼女の一家も今の難民キャンプへと移り住んだ。新しく移ったキャンプで彼女は、小学校の低学年を世話する教師として活動していた。だが、内気で恥ずかしがりやの性格のため、どうしても人前に立つのが苦手だった。そのため96年からは、外国の医療援助団体の助手としての仕事を始めた。
彼女の一日の生活パターンは、ほぼ決まっている。午前か午後の半日、時には一日中、医療団体の診療所に詰めている。発熱したカレン難民がマラリアにかかっているか調べるために採血したり、その血液にマラリア菌が出ていないか、じっと顕微鏡を覗き込む。
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地味なこの仕事を結構気に入っているようだ。
彼女と出会った95年、それほど広くない竹の家に同居しながら、ほとんど言葉を交わすことはできなかった。どちらかといえば私を避けているような様子であった。「カメラを向けてもいいかな」、という雰囲気は全く感じられなかった。無理をしたら写真を撮れたかも知れないが、私の直感は「まだまだ、駄目だ!」と告げていた。
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