5日目の夜、部屋で資料を読んでいるとノックがあった。「起きてますか。私です」と。金順徳さんだった。「仕事、進んでますか。取材費は出るの?これ、お小遣いだから」とお札を差し出そうとする。
 金順徳さん、朴玉蓮さん、李玉仙さんの3人に、「慰安婦」時代の話を聞く機会があった。驚いたのは、3人共、話をし始めるといつもの穏やかな雰囲気が消え去り、興奮していくのだ。インタビューとしては失敗だ。こちらの質問に答えると言うより、一方的に話し始めるのだ。話してくれた内容の再確認ができない。話の内容は前後し、何度も同じことを繰り返す。パプアニューギニアのラバウルが台湾にあったりする。しかし、よく考えてみると、この10年間、おばあさんたちはあまたの取材者に話をしてきたはず。

   今さら私が何を…。そう思うと、それ以上突っ込んで話を聞くことができない。
  本当につらかった経験は、過去の出来事として、封印しておきたいのが本音だろう。それなのに、取材という名目でおばあさんたちに起こったことを聞き出そうとするのは、こちら側の勝手である。敷地内に建つ「歴史博物館」に備えている資料を見ると、過去、何が起こったのか、一目瞭然である。敢えて私が追い打ちをかけて、証言を引き出すことはない。
 私は、過去の歴史の証人としておばあさんたちに接触しようとしたのではなかった。おばあさんたちが今、何を考え、どう感じているのかを知りたかったのである。たった一週間のつきあいで、何が分かるものではない。
   


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