だが、これは行為の責任を“国”に押しつけ、解決しようとする論理である。確かにそうではあっても、その解決の仕方で個々の蛮行をはたらいた兵隊の責任は、帳消しにすることはできないはずである。問題を個人の問題に移し、その倫理観を道徳の問題に告発していくことが、これらのことを考える時、避けなければならぬことはわかる。しかし、あえてそれを乗り越え、考えねばならぬことも事実である。
 そこで問題の根源だが、どうやらこれは、日本人の持つ道徳倫理は下から、つまり自分たちの生活の中から生まれたものではない、ということでないだろうか。
 日本人の道徳倫理は生活の場からでなく、上から(権力者から)おろされる形で定着している。・・・・・。
 上からのものに拒否できない、拒否しない思想・・・。“上”がなくとも“上”をあおごうとする思考である。・・・・・。

   下からの自らの道徳倫理を持たない民族としての欠陥は、戦争が敗戦という結果でおわり、民族に痛烈な反省をもとめたのに、あらためられることがないことにもあらわれる」(p.197-200)。
  「慰安婦」がどのようにして生み出されてきたのか、その生活はどのようであったのか、千田氏の著作は詳細に記述していた。元「慰安婦」と呼ばれるおばあさんたちが私のすぐ側にいる。これは、現実なのか。本を閉じる。ため息も出なかった。
 
ぼんやりとしていると、いきなり裵春姫さんが入ってきた。
 「まだ起きてるの。寝ないの。」
 「慰安婦の資料を読んでたら、眠れなくなってね。」
 裵春姫さんは皿に山盛りのイチゴを持ってきた。  「どう、食べる。おいしいよ。」
 夕方、ぷいっと立ち去った私の機嫌をとっているようだ。
   


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