自分の目に映るイメージがそのままフィルムに反映されるのではない。かなりの割合で、カメラ・レンズ・フィルムなどの道具に頼らざるを得ない部分があることも学んだ。人間の感性を表現しようとする道具には必ず限界が有るのだと。それは言葉とて同じである。
 「紺碧」の空は「青く」写ってしまう。
 一方カメラは数千分の一という人間業ではない瞬間をとらえる。
 道具と人間のいい関係である。

チャールズ川に架かる橋を撮影し、フィルムを現像し写真として引き延ばした。それを見たデイビッドの質問には容赦なかった。

   「なぜ橋を撮したのか。なぜ、川に架かる橋を撮したのか。なぜ朝夕でなく日中に撮影したのか。なぜ、橋の欄干をこの形でイメージの中に入れたのか。なぜ、空を半分、河を半分イメージに入れたのか。なぜ、土手を右に入れたのか。街灯をこの位置に配置したのはなぜか。」
 「わからない」という言葉でごまかすことを許されなかった。デイビッドは、写真を撮るときに、できるだけ意識的になれ、と言いたかったようだ。無意識で画面の中にどのような情報が入っているのか意識するようになれ、とも言っている。


   


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