Vol.173/2012/6
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1,000回目の「水曜集会」の当日、「ナヌムの家」でメディアのインタビューに応じて、自分の過去の体験を話し始めた姜日出(カン・イルチュル)ハルモニ。最初の半時間は冷静に話をしていたが、やがて涙ながらに言葉を絞り出していた。10年前は近づけなかった姜日出ハルモニ。今回は、私のカメラを嫌がるでもなく、「ナヌムの家」で暮らす自然な姿を撮影させてくれた(2011年12月)。 |
韓国・ソウル郊外に建つ「ナヌムの家」を初めて訪れた2002年3月、李容女(イ・ヨンニョ)ハルモニから次のように言われた。
「あなた、何しに来たの?また、話を聞きに来たの?遅すぎるよ。この10年、いろんな人が来て毎日毎日ずっと話をしてきたよ。もう嫌になるくらいね。苦労話ばかりさせられてきたよ。60年前に来てくれたらよかったのに、遅すぎるよ」
ハルモニとは、韓国語で「おばあさん」を意味し、ここでは元日本軍強制従軍「慰安婦」を指す。「ナヌムの家」とは、元「慰安婦」と名乗り出て、韓国社会で暮らしづらくなったハルモニたちが共同生活を続けている施設である。
これまで、元「慰安婦」に関するニュースやドキュメンタリーは、数多くあったとはいえないが、そこそこ目にしてきた。それに、それほど深く「慰安婦」問題に関わってこなかった私が、どのようにハルモニたちに接触するのか、それが(取材者側の一方的な思い込みだが)一番の問題であった。
2003年当時、私は、30代後半の男で、1m80cm近い背丈があり、しかも日本国籍を持っていた。しかも、私は、ハルモニたちのお世話をするボランティア志願でもなく、取材が目的の訪問である。そんな私が、歳とともに小柄になったハルモニたちに受け
入れてもらえるかどうか、不安がなかったといえば嘘になる。
「韓国の新聞社の男性記者も取材のために一週間泊まり込んだことがありますよ。言葉に不自由しない彼でさえ苦労したと聞いています。でも、日本語を話すハルモニも何人かいますし、心配ありませんよ。ハルモニたちとできるだけ時間を共にするしかないですね。ただ、個性の強いハルモニたちばかりですが……」
「ナヌムの家」の院長・能光(ヌン・グアン)さんはそう勇気づけてくれた。