Vol.173/2012/6
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「ナヌムの家」を支援する韓国のボランティアの出張美容室のサービスを受けるハルモニたち(2003年)。笑いながら、恥ずかしそうにカメラを遠ざける仕草を見せていた。 |
この間、「ナヌムの家」には日本から、年間約5千人もの訪問者が来るようにもなっていた。それは、例えば日本人研究員・村山一兵さんをはじめとするボランティア支援者たちが「ナヌムの家」に住み込んで、ハルモニたちと良い関係を築いてきたからでもある(村山さんは2011年退所)。彼らの献身的な活動は確かに、ハルモニたちの信頼を勝ち取ってきたともいえる。
では、金学順(キム・ハクスン)ハルモニが1991年8月14日、韓国で初めて元「慰安婦」として名乗りを上げて記者会見をして以来、メディアの多くは、ハルモニたちの、その時の姿を伝えてきたのだろうか。漠然とした個人的な印象になるが、そうは思えなかった。ハルモニたちは、あくまでも日本と韓国の関係を説明する際の役割を担わされていたようにも思える。ハルモニたちの過去を語ることが多く、今を伝える内容は少なかったようにも思えた。だからだろうか、ハルモニ当事者の声が一般的に届けられているようには思えなかった。
だからこそ私は、なんとかして、自分のやり方でハルモニたちの姿を少しでも伝えることができないだろうか、と。そして今回、10年前と同じように、「ナヌムの家」に泊まり込んでハルモニたちの今の姿を捉え、彼女たちの過ごしてきた経験に思いを馳せるような写真を撮ることができないか、そう思ったのである。
私にとって、当事者の声を聞く、とは、当事者の声を聞き続けることであった。それは、つまり、絶えずつきっきりで付き合うのではなく、たとえ時間をおいても関心を持ち続ける、ということでもあった。