Vol.172/2012/5
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「水曜集会」1,000回目の当日の朝。いつもと変わらぬ朝食風景。 |
「『慰安婦』問題は、確かに学校で習いました。でも、こうやってまだハルモニたちが存命しているとは知りませんでした。『慰安婦』の問題は、『歴史』問題として過去の出来事だと思っていました。たぶん、私以外の若い人たちも、一部の人たちをのぞいて、この問題にあまり興味を持っていないと思います」
私はまた、10年前の500回目の時と同じように、「ナヌムの家」を訪れる日本からの取材者を期待していた。1,000回目を迎える「水曜集会」の前夜、或いはその当日、果たしてハルモニたちは何を考え、どう思うのか。そのことを知りたいと思うメディアがどのくらいあるのか、と。
が、「ナヌムの家」へ、日本からの取材者は皆無であった。
やはり、というか。
強制連行はあったのか、なかったのか。賠償問題はお金目当てなのか、名誉回復の問題なのか。ハルモニにもいろんな立場や背景があり、元「慰安婦」の話を十把一絡げにすることはできない。もちろんそうだ。だからこそ、いろんなメディアのさまざまな立場の記者が、ハルモニたちの1,000回目の「水曜集会」の直前の声を聞いて欲しかった。
「慰安婦」問題は常に、日韓の外交問題の俎上に載せられる。だが、その外交問題の当事者であるハルモニたちの存在は ─ 彼女たちの声は、日本の主流メディアに載せられることはそれほど多くない。
歴史の証人としてだけでなく、今を生きるハルモニたち一人一人の声を — 彼女たちが毎日、何を思い、どのような生活をしているのかを、果たして私たちはどれだけ深く聞いていたのか。1,000回目の「水曜集会」を翌日に控えた前夜、「ナヌムの家」で私は再び考えざるを得なかった。
(続く)