原稿を書くことを仕事の一部にしている私にとって、キーボードを前にして自分の考えをまとめるのに非常に苦労する時がある。実は今、その状態に陥っている。この『On
the Road(オン・ザ・ロード)』という連載は125回(10年以上である!)を超え、自分でもよく書き続けているなあと思うことがある(それは編集長氏による毎月の『締め切り確認』のおかげでもある)が、書く題材がない時は実際、困る。ホント困る。
特にこの数週間、フィルムのスキャン作業に没頭し、ブログ以外では書くという作業をしていなかった影響もあるようだ。頭の中が、で写真モードになっているのである。書くのも習慣や癖あり、書くモードへと頭を切り替えるのはちょっとしたコツが要る。
そこで今回は、困っていると言いつつ、いつもの手法で、どうして困っているのかを題材にすることから話を始めてみようと思う。
実際、自分の頭の中に何か言いたいことがあってキーボードを叩く時は、行数も進み、スイスイと原稿を仕上げることができる。でもそれでは、正直なところ、最後の「。」を打ったあと、“やった!、書き上げた”という達成感はそれほどない。また、取材直後などは、自分の見たこと聞いたことを、それこそ誰かに知って欲しいという気持で自分自身が昂ぶり、書き綴る内容や分量に苦労することもほとんどない。
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原稿を書く際に我が身に一番ドライブがかかるのは、文章を書き始めて、一体自分が何が言いたいのか分からないのに、それでも自然とキーボードを叩き続けてしまう時である。書き始めてしばらく、今回はこういうことを書こうと思っていても、そのうちについつい脱線してしまい、話が知らぬ方向に向かっていく。それでも、そちらの脱線話の方が自分にとっては面白く、元ある方への修正がきかず、ついつい自分でも意識しない事柄が湧いて、書き続けてしまう。
例えば、誰かと話をしていてよくあることだが、話が弾んでいくにつれ、喋りながら、自分でも思いもしなかったことが口から出ることがある。
「あれ、オレってこんなこと考えてたんだ」
そういう自分で自分の新しい部分や考え方を発見し、嬉しくなることがある。このエッセイ『On the Road』を書き続けている理由のひとつに、自分の取材結果を「伝える」ということ以上に、自分自身でまだ「気づいていない」「知らない」ことを知る喜びもあるのだ。
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