今も昔も、たぶん一番の働く世代といえば30代の人たちであろう。1945年に35歳といえば、1910年生まれである。そう、明治43年生まれである。あるいはそれよりも10歳若い年齢の人だとすると、1945年に25歳だった人は、大正9年生まれである。
ということは、戦後の復興を担った彼らの多くは、「大正デモクラシー(これは第2次大戦後に名付けられた)」という、自由主義・民主主義運動を経験してきた人でもある。しかし、かつての日本は、国際状況を巡る情況から、国外の戦争に荷担するようになった。その後、軍部の台頭を許し、大正デモクラシーは治安維持法の制定により潰えてしまった。そういう、戦前・戦中を経験してきた人びとが、実は戦後日本の復興を担ったのだ。
日本のある時代の、ある一面の歴史をくぐり抜けてきた彼らは、この間、何を見てきたのだろうか。それを想像してみたい。
理想と現実が混在し、飢えや貧困に怯え、人間の尊厳や人間の醜さが入り交じり、多くの人が生き死にの極限を経験していた(だろう)。政治体制の崩壊のみならず、価値観も大転換する。おそらく大多数の人びとが、明治維新に匹敵するような社会の激動を生活レベルで経験してきたはずである。そして敗戦後、人びとの目の前に残ったのは、何を信じていけばいいのかという不条理さであったであろう(と、私は勝手に想像する)。
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その時代の人びとは、人間の、社会の、国家の、共同体の、それぞれの崩壊の怖さを経験したと想像できる。人間社会の「本当の怖さ」は何なのかを、彼らは脳裏や身体に焼きつけたであろう。
そういう人びとが、実は戦後世界を作ってきたのだ。だからこそ、あの戦争の後には、時代の流れに決して左右されない、ぶれない平和な社会を作ろうとした
─ そのように、戦後の今を生きる私は想像するのである。
戦後復興を担った前の世代は、1970年の高度経済成長を迎えるにあたって、社会活動の現役から引退した。実は、それからである、本当の戦後が始まったのは。戦後は1945年からではない。
世代間の断絶があるとすれば、この70年代の時期であろう。それ以降の日本では、実は、ある日ある時ある事件を契機として、価値観の大転換や常識が非常識になるというような大事件は起こらなかった。
本物の「崩壊」を経験してきた前の世代は、実は自分たちが作り上げてきた「戦後民主主義」というものも、もしかしたら仮初めの体制であることに、どこかで感じていたかも知れない。だからこそ、彼らは本気になって、その虚構にも思える戦後民主主義を守ろうとしていた(と思う)。もしかしたら、いつこの最良と思われる民主主義体制が壊れるかも知れないという「恐怖心」と隣り合わせで生きてきたのかも知れない。
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