Vol..151/2010/8
「恐怖と隣り合わせの日本の戦後民主主義」

 記憶を記録にという取り組みに水を差すわけではないが、日本国外の取材が多い私にとっては、そういう「被害者中心」の取り組みに違和感をもつのも、また事実である。もちろん、加害責任を忘れるな、という強い意志を持って、現地での戦争体験を語り続けた本多立太郎さん(今年5月27日逝去)のような人もいる。だが今、圧倒的に多いのは、被害者としての記憶・記録である。

 さらに日本では、「被害者」として「加害者」に責任を求めようとする勢力が依然として多いようにも感じる。責任の形にはさまざまな形があるだろう ─ 謝罪、補償、次世代への核廃絶の約束など。その一方、「加害者」の国に暮らしてきたわれわれは、はたして自らの日本政府を動かして「被害の側」に十分な対応をしてきたのだろうか。

  もっとも被害者の記憶さえ失われつつある今となっては、加害者意識を持てというのは、なかなか話が通じないことなのかもしれない。

 

  そこで、難しいとは知りつつ、改めてあの時代を想像してみたい。敗戦から今年で65年目、1945年のことを。

  焼け野原だった1945年直後からの復興は、よくよく考えて見ると、いわゆる「戦後世代」によって再建されたわけではない。「戦後世代の人」とは1945年を境に考えると、当時、生まれたばかりか、あるいはそれ以後に生まれた人びとのことを指すからである。

 
関行男慰霊碑の敷地内にある石碑の文句。
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大東亜戦争末期、敵 の大機動部隊のレイ テ湾侵攻を阻止し、 大和民族の純血を守 らんとして神風特攻 第一号敷島隊は、一 機一艦轟沈を目差し て世界最初の公式の 人間爆弾となり国家 悠久の大義に殉ず 嗚呼 若き血の・・・
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「世界最初の公式の人間爆弾」は、自爆テロの見本ともなっている。
   


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