Vol..147/2010/4
「黄色やら、赤やら、ピンクやら」

 まもなくして、反タクシン派が巻き返しを図ることになる。それは2008年11月、黄色のシャツ(タイ王室を象徴する)を身につけた「反タクシン派」がバンコクの国際空港を占拠し、その政治力を見せつけることによって証明された。国際的な混乱を引き起こすような空港の占拠に至っても、当局は治安回復のために実力行使には及ばなかった。黄色のシャツ派はその勢いで、反タクシン派のアシピット政権を発足させることになる。
 その後、赤シャツのタクシン派と黄色シャツの反タクシン派がそれぞれの主張を声高にしながら、大規模なデモを繰り広げることになる。
 タイの政治はこれまで、流血を伴ったクーデターが繰り返されてきた。だが、時代は変わった。軍出身のスチンダ政権(当時)と市民との対立は、政治的な駆け引きとプミポン国王の仲裁によって収拾し、92年の騒乱で政治的な対立による流血は最後となった。経済が発展し社会が成熟化し始めたタイではその後、クーデターとは名ばかりで、軍部が武力を伴って表に出ることはなくなった。
 そんな赤シャツと黄シャツが対立する中、今度はピンク色のシャツが現れた。

 

 タクシン派の「赤シャツデモ」に反対する「市民団体」を名乗る新しい勢力は、「ピンクシャツ」を身につけ、タクシン派の要求する「議会(下院)解散」に反対を唱えた。さらに、タクシン派のデモによってバンコク市民の生活 ─特に観光産業─ に影響が出ているため、一刻も早く政治情勢を回復させ、市民生活を安定させるべきだと訴える。これらピンクシャツ派は、黄色シャツの傀儡だとも指摘する人もいれば、ピンク派は政治にはそれほど魅力を感じず、単に経済的な立場を優先する人びとに過ぎないという人もいる。

 4月3日(土)付けの『バンコク・ポスト』紙の一面には、バンコクのビジネス街の真ん中に位置するルンピニ公園で、ピンク色のシャツを身につけた約1,000人の人びとが、反タクシン派を排除するように訴えていた。
 ところが同3日の昼、バンコクの中心地で行われた「赤シャツデモ」は、10万人以上が参加し、首都最大の商業地区=サイアム・スクエアを事実上占拠することになる。周辺道路は完全に封鎖され、日本の伊勢丹など主な商業施設は閉店に追い込まれた。

   


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