Vol..139/2009/8
「ジャーナリズムが存在する限り」(再・下)

(前号からの続き)

 報道写真には、悲惨な部分ばかりじゃなく、もっと違った部分があると言われる。「楽しい写真もあるだろう」って言われる。確かにそうだ。だからといって、楽しい写真やほんわかした表現によって本当に伝えなければならない部分が、脇に追いやられるようでは納得いかない。  声の小さな人びとは存在してきたし、今後も存在しつづける。技術革新により、インターネットの力を借りて、自らの声を自分の生活する場から発表し始めている人も出てきた。しかし、まだそれは少数派であり、誰もが同じことをできるわけではない。  現在、写真のイメージでメッセージを伝えるという傾向が弱くなってきた。カメラという機械で、その状況を切り取るだけである。なんとなく、見る人の感性に訴えるような写真が多い。何を言っているのか、私には分からないイメージも多い。

 
中米エルサルバドルの首都サンサルバドル。喧噪な下町の中心に建つエル・ロサリオ教会。沈みゆく太陽光線を受けた教会の中で、男性が1人で祈りを捧げていた。
 


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