Vol..139/2009/8
「ジャーナリズムが存在する限り」(再・下)

 写したその瞬間から、時間が経てばたつほど、その写したイメージに存在価値を持つ写真でありたい。しかし、それに応えるだけの力量不足を常に痛感せざるを得ないのもまた事実だ。
 そう考えるとフォトジャーナリストは、日本の写真雑誌という狭い世界、いや写真界だけにとどまっていてはダメだと思う。目の前の現実を写しながら、その写真で世界を見渡すということが改めて必要だと思う。
 しかし、いくら「時代の表現者」と大きなことを言ったとしても、私個人のフリーフォトジャーナリストにも目の前の生活がある。悔しいけど現実は厳しい。果たして、フリーの写真家は生業として成り立つのか。否、である。厳しい現実がある。しかし、生活を優先して成り立たせるために撮った写真は、受け手に共感を得られるだろうか。流行だけに、あるいは時流に乗った写真を主流にして、人の「ココロ」を捉えられるだろうか。見栄えのある写真は撮れるかもしれない。しかし、撮り手の私の意識は死んでいたらどうなる。死んだ私の写真が生気を放つはずはない。
 

 このような内容の文章を10年前、知り合いの編集者に送った。みんな忙しかったのだろう。返信はたった1通だけだった。それにはこうあった。「希望に添うような編集者に『力不足』でなれません」と。あれから年月が経った。いわゆるマスメディアの情況は、年々悪くなっているなあと思う。
 ただ、想像以上にコンピューターやデジタル機器の利用が進み、ウェブやブログで、個人として情報発信する人びとが急増してきた。それらの中には、プロフェッショナル顔負けの内容を持つものもある。それはそれで良い傾向だと思う。ただ今、危惧することの1つとして、ある種の「記録物」が「情報」として扱われはじめていることである。
 インターネットの発達によって、それを使う一部の人には地球が小さくなったように思える。だが、大きな視点を持てば持つほど、その網の目からこぼれ落ちる事象はそれだけ増えているだろう。
 何をどのように伝えるか。今も答えのない問いを抱えてしまう。

   


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