Vol..136/2009/5
「遠くはなれたエルサルバドル」

ベネズエラやボリビアに続き、中南米に左派政権がまた一つ増えたことになるが、フネス氏自身はゲリラとしての経歴はなく、米国とも協調する中道左派路線を打ち出している。国民が支持したのは反米路線ではなく、20年にわたるARENAの長期政権への疲弊感だった。運転手のホルヘさんは「20年間も政権にいて、貧困層の生活はいっこうに良くならなかった。エルサルバドルにも『変化』が必要だ」と語った。

 ちなみに中米諸国は、「アメリカの裏庭」と言いあらわされることがある。そこで、オーストラリアではよく見るが、北アメリカ大陸の地図の南北を逆さにしてみると、アメリカ合州国と中米諸国が地理的にいかに近いか実感できる。
 また、エルサルバドルは一時期、人口密度の高さ、勤勉な国民性などから「中米の日本」と評されたこともある。
 この同じ3月末、この選挙結果が報じられていたまさにその時、私は日本で、自分自身の過去を振り返る原稿を書いていた。

--------------------  
92年、エルサルバドルで3ヶ月の取材を終えて米国に戻り、その翌年の93年、米国から日本に引き揚げることになった。約2年間の米国滞在とエルサルバドル訪問で、取材者として写真撮影以上に多くのことを学ぶ機会を得た。

 
1994年、停戦後初めての大統領選挙が行われた。経済的に貧しい地方の山間部ではほとんどがFMLN支持者であった。

狭い国土の山の中、小さなコーヒー農園で働く若者(1996年)。
   


This site is developed and maintained by The Perth Express. A.B.N.29 121 633 092
Copyright (c) The Perth Express. All Reserved.