時代は変わるのは当然である。変わらぬ方がおかしい。状況が変わったからと言って嘆いてばかりいても仕方ない。それは報道写真の世界とて同じ。2000年春、月刊誌としての『ライフ』が廃刊となり、秋風が吹く頃には、とうとう『アサヒグラフ』や『太陽』が休刊になった。
1970年代、フリーの報道写真家が全盛期を迎えたのは、フォトジャーナリズム界をリードしていた米国がベトナム戦争に関わっていたからだ。しかし、現在も世界中で紛争は起きており、米国は近年、NATO軍の名のもと、いわゆるコソボ紛争に介入した。しかし、今の写真は、ベトナム戦争当時ほどの力を持っていない。当たり前だ。テレビはもちろんのこと、衛星放送、インターネットを使って、現地の様子がリアルタイムで伝えられているからだ。
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写真の役割の相対的な低下は、時代の流れとして当然だ。だから、「70年代の頃が良かった、あのころに戻りたい、あのころに生まれていたら」、って思うのは、それこそ、ないものねだりである。フォトジャーナリストは、今、自分の生きている時代はどうなのか、そのことを考え、未来を見据えなければならないと思う。過去の写真の栄光の時代ばかりを見つめていては何も進まない。
時代を見据える眼、視点があれば、写真は生き残れる。
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