Vol..134/2009/3
「みる(前編)」

 びっくり、である。というのは、この1992年は私もボストンにいたからだ。しかもだ、このボストン・マラソンを実際に取材していたのだ。間違いではないかと思って、その昔、ボストンで発表した掲載誌を見てみる。確かにこの年のこの日、私はその場にいた。もちろん、名の知れた人とのすれ違いはどこにでもあると思う。都市生活をしていれば、それほど驚くことではないだろう。実際、私もJR大阪駅前のヒルトンホテル横を歩いていた時、あのノーベル賞作家・大江健三郎氏とばったり出くわしたこともある。
 もっと不思議だったのは、実はこの原稿を書いている3日前に村上さんの『東京奇譚集』(新潮文庫)という本を手に入れ、それを読み始めていた途中だったからだ。この本は、村上さんの身に起こったいくつかの「不思議な出来事」についてまとめている内容だ。

 さて、今回の原稿をどういう内容にしようと考えていたところ、偶然が重なり、自分もその「不思議な出来事」に巻き込まれてしまったかのように思える。『東京奇譚集』は、まだ最初の物語しか読んでないのだが ─ その最後の方にこう書かれている。

  <偶然の一致というのは、ひょっとして実はとてもありふれた現象なんじゃないだろうかって。つまりそういう類のものごとは僕らのまわりで、しょっちゅう日常的に起こっているんです。でもその大半は僕らの目にとまることなく、そのまま見過ごされてしまいます。(中略)しかしもし僕らの方に強く求める気持があれば、それはたぶん僕らの視界の中に、ひとつのメッセージとして浮かび上がってくるんです。(P.47)>

 

 どうも前置きが長くなる。
 実は今回の原稿を、写真を「どう見るか・読むか」「どう見えるのか・読めるのか」「どうしてそう見てこなかったのか・そのように読んでこなかったのか」という内容にしようと思って書き出していた。言葉で説明するよりも写真を使う方が、自分の仕事とも深い繋がりがあるし、現場で写真を撮ってきた経験から説得力のある説明ができると思っているからだ。その書き出しをどうしようかと思っていたときに、村上さんの本を見つけ出し、偶然の一致にはまってしまった。しかも、彼の文章の中には、どうやら私が言いたいことの核心が、はっきりと言語では明示していないが、どこかにあるようだ。だから長々と引用してしまった。

 さて、私の仕事は、異国に出かけて、そこの出来事や事象を写真と文章という手段で発表することである。でも今の時代、社会の趨勢をみてみると、写真はどうも時代遅れのようだ。伝えるという手段は、動画が最も効果的であるからだ(と私も思う)。それは否定できない。だって、動画には動きがあり、音も一緒になっているのだから。やはり写真よりも動画の方が日常生活の中に、自然な形でメッセージが伝わると思う。
 だが、である。毎日の暮らしの中で、洪水のような膨大な情報が、想像以上のスピードで耳や目の中に飛び込んでくる。おそらくは人間の五感に処理できる以上の情報が絶えず襲ってくる。人間の身体的な機能のうちで、おおかたの人は、コミュニケーションの道具である口・目・耳をとってみても、口や目は閉じれば情報伝達は遮断することができるが、耳には「フタ」がないので、否応なく情報 ─ 消費社会では宣伝広告や音楽が多い ─ が入ってくる。絶えずいろんな情報に晒されている。

   


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