以前にも書いたことがあるかも知れないが、私自身を含めてであるが、一般的に外国に出て異国で暮らした場合、次のような感覚の変化を経るのではないだろうか。(1)異なる社会や習慣に触れて、うわ凄いなあ、いいなあ、進んでいるなあ、遅れているけどそれが却って素朴だなあ、という礼賛(傾向)、(2)異国での生活にほどほど慣れてくると、でもなんだかやっぱり不自由で不合理だ、やっぱり日本の方が良いという日本愛国主義的傾向に陥る、(3)でもそうはいっても、日本は日本で不合理なこともあり、どの社会にも良い面悪い面があり、異国だからいい、日本だからいいと判断するのはどうでもよくなってくる。
この(1)、(2)、(3)の段階を経験して、ようやく日本や外国のいろいろな事柄に深みを感じるようになってくるんではないかと思う。さらに、その後に続く(4)は、人はそれぞれで、いろいろな形で広がっていくだろう。
そんなことを考えていて、ふと、同じようなことを誰かが書いていたなと思い出した。本棚を探してみると、あった。村上春樹さんの『やがて哀しき外国語』(講談社文庫)という文庫本だった。村上さんは、米国ボストンでの滞在の話を次のように書いていた。
<アメリカにいても日本にいても、生活の姿勢にはそれほどの変わりはない。アメリカにだって不愉快なろくでもない奴はいる。頭に来ることだってある。目に見えぬ人種差別だってもちろんある。言葉がうまく通じなくて、誤解したりいらいらすることもある。偉そうにえばっている奴もいるし、頑固で融通のきかない連中もいる。他人の足を引っ張ることに汲々としている人たちもいる。そういう人間にかかわりあうとそれはまあそれで不愉快な気持になる。
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でも考えてみれば同じようなことは、同じくらいの割合・頻度で日本でもあったのだ。(中略)人生の過程においてそういうことを何度も経験していると、「やっぱり日本の方がいい」とか「アメリカの方がいい」とかいった二者択一的なものの見方はだんだん希薄になってくるように思う。(PP.34‐36)
通り過ぎる人には通り過ぎる人の視点があり、そこに腰を据えている人には腰を据えている人の視点がある。どちらにもメリットがあり、視覚がある。・・・・・。どれだけ自分の視点と真剣に、あるいは柔軟にかかわりあえるか、・・・。(P.275)>
自分もこの数十年、日本と米国、中米、オーストラリア(1ヶ月だけ)、東南アジアを行ったり来たりしている。それこそ長期の場合は、取材先に最低1年間(複数年)は暮らしてきた。今の仕事、つまりフリーランス・フォトジャーナリストの仕事の出発点が米国ボストンだったこともあり、村上さんのこの本の中には、私の知っている具体的な地名や店名が出てきて、特に親しみを感じる。
パラパラとページをめくりながら、「梅干し弁当持ち込み禁止」という一章の冒頭を読み直して、ん?と思った。出だしにこうある。
<一九九二年のボストン・マラソンは四月二〇日の「ペイトリオット・デイ」に行われた。僕がこの有名なマラソン大会を走るのは、昨年に続いて二回目である。>
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