Vol..132/2009/1
「働くこと」

 「電車はもうそれはムチャクチャ混みます。千代田線の町屋から大手町までの間はほんとうにどうしようもないです。手を動かすこともできません。上げたらあげっぱなし。入るときもああっと背中から押し込んで、無理やり乗るような感じですね。痴漢もね、たまにはいます。嫌なものです。」
 「通勤は日比谷線を利用しています。電車はものすごく混みますね。」「どれくらい混んでいるかというと、ドアから車内に入っていくときに、一度私の持っていた鞄が、車内の人波の中にすっぽりとのみこまれて、行方がわからなくなったことがあります。もぎ離されるまいと思ってしっかりと掴んでいたんですが、これ以上持っていたら腕が折れるだろうと思ったので、手を離しました。」
 「その当時は、**駅から東部伊勢崎線で北千住に出て、そこで日比谷線に乗り換えていました。もうこれは殺人的な混み方です。いつか死人が出るんじゃないかと思っています。肋骨を折った人がいるという話です。」  「浦和から上野までは混みますよ。そうですね、肉体的に苦痛を感じるくらいの混み方です。」

 

 こういう話を読むと、日常の通勤の苦労を知らないフリーランスはまだ良いかな、と思ったりする。これが会社勤めをする間、数十年(もし、勤めを続ければ)も耐えなければならないのである。もう10年前になるが、初めてパースを訪れた際、午後4時を過ぎると帰宅のラッシュが始まっていたのを目の当たりにして、ショックを受けた。働くというのは、生活の一部であって、全てではないのだな、と(現在はどうなっているかは知らない)。その時であった、「ああ、将来はパースに住んでみたい」と思ったりした。

 さらに、『アンダーグラウンド』では深く考えさせられる内容が続く。人びとは、サリンの被害を受けた直後から様々な反応をし、行動をしていた。もちろん、サリンの被害を受けた人同士が介抱している状況でもあった。
 「もう体が相当おかしくなっているのに、それでも多くの人がなんとか通勤しようとしていました。どこかに行こうとしていた。・・・・・。ほとんど歩くこともできないのに、確かに『這ってでも』というのにちかい人もいました。私はもうこれは会社どころの話じゃないとあきらめました。命にかかわることだと感じましたからね。」
 だが、その多くの人の傾向は、違っていた。被害者の多くの人がサリン禍に巻き込まれながらも、なおも会社に行こうとしていた事実である。

   


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