確かに社会保障や経済的な安定度の観点からみると、フリーランスの生活はおぼつかないかもしれない。或いは、フリーランスの中のフリーという「自由」は、自分が自分のことを決める自由ではなく、人に自由にされる「自由」だとも揶揄されることもある。実際のところ、フリーであろうが、勤め人であろうが、責任や報酬をともなった仕事は大変なのである。
先日、村上春樹氏の『アンダーグラウンド』という本を読んだ。1995年に東京で起こった、オウム真理教団による地下鉄サリン事件を取り上げたドキュメントである。それは、サリン事件そのものというより、それまでほとんどメディアで取り上げられることのなかった、サリンの被害者の存在とその後を丹念にインタビューした内容である。もちろん、この事件の被害者の後遺症は大きかった。事件そのものを思い出したくない人も多かっただろう。著作で紹介されたのは膨大な被害者の一部であり、この本だけでサリンの被害者を語り尽くされるというものではない。
この『アンダーグラウンド』を読むと、否が応でも、サリン被害者の一人ひとりの横顔や生活、さらに彼ら彼女たちのその後の生活を考えざるをえない。その中で、私が特に気になったのは、各々のインタビューの中で語られた、日本社会の中での勤め人としての生活内容にあった。それはある意味、日本の社会の一部を改めてえぐり出した、東京の通勤事情のすさまじさだったからである。
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誰もが買いそうもない小物を身体中に付けて、下町の炎天下を歩き回る。それしか仕事がない(中米エルサルバドル)。
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