そう、デジタル化ですっかり、身体を使わなくなってしまった。例えば、写真撮影のひとつにしても、光の強弱・陰影を自分で測り、構図を決め、ピントを合わせ、シャッターを切る。フィルムの現像も現像液・停止液・定着液などを使って自分で行う。もちろん、これらの薬品は刺激臭を伴い、嗅覚をも刺激した。従って、でき上がった写真は1枚の紙片であるが、身体を使った生産物であった。そう思うと、今のデジタル写真を扱うことは本当に味気ない。
そんな昔の写真を思い出すにつれ、なぜだか、親の子を想う気持ちを思い起こした。自分自身の写真のことはさておいて、子どもたちの写真をアルバムに貼っていた母親の気持ちである。デジタル写真ならマウス操作1つでコピーができ、その写真データは半永久的に残るかも知れない。だが、どのように防腐処理をしようが、フィルムはいつかは消えてなくなってしまう。実際、フィルムのネガがなくなり、プリント写真だけが残ったイメージもある。私の親は、そんな写真の一枚一枚をいとおしく扱っていた。そう、今ではセピア色になった30年以上前のプリント写真には、そんな親の思いの名残があった。そう思うとデジタルで人為的に作る人工のセピア色ほど哀しい色はない。
大切な思いで母親は、子どもの写真をアルバムに貼っていた。自分自身の写真は、不要になった菓子箱か靴を買った時に使われた箱の中に、無造作に入れていた。状況は全く違うが、今の私と同じように、母親は自分が写っている台紙アルバムの写真をほとんど持っていなかった。
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母親は、私が18歳で家を出るとき、そんなアルバムから、私の子ども時代の写真を剥がして、手渡してくれた。たった1枚しかない写真をだ。カラーコピー機などない時代。それに現像したフィルムがないから焼き増しもできなかった。どういう気持ちで最後の1枚を私にくれたのか。もしかしたら、私が家族を持ったときに、その写真が必要だと思ったからかもしれない(結果として、家族は持っていないが…)。
そうやって、写真は親から子へ、引き継がれていったのかもしれない。そう思うと、今の時代は写真がもっていた記憶や人と人との関係が薄まってきているようだ。もちろん、そこには良い悪いという価値判断はない。今は、ただこういう時代になったんだという、そんな現実だけである。
今も思い出す。最後の写真がはがされた後に、ぽつんと4つの三角コーナーだけが残っていたアルバムを。
最近、アルバムに写真を貼りましたか?
デジタルではない、紙を使ったアルバムを持っていますか?
そんな問いかけを、誰彼なしにしたくなる2008年の年の末である。
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