Vol..130/2008/11
「もし、平等ならば」

 では、外国人が取材者として現地に入る意味はなくなったのか?
 私は、そうは思わない。ビルマのような強権的な独裁国家には、外国人でしか出来ない・見えない・感じざるを得ないことがまだまだあるからだ。たとえば、武装警官に近づく。彼らにカメラを向けるのには想像以上の勇気を必要とする。近づくだけで緊張感が高まる。ドキドキを通り越して、胸が締め付けられる。実際、彼ら武装警官や兵士たちは、いつでも恣意的に力を行使できるのだ。私は外国人だから思い切って写真撮影ができるが、実際に、直接的な被害を受ける現地の人が同じことをしようとすれば、その恐怖は計り知れない。
 インターネット専門のビルマニュース『ミジマ』(8月20日)を見ると、1988年と昨年の民主化デモに参加した元学生の話が伝えられている。
 「(毎朝)目が覚める度に、昨日話をした友人と会えるかどうか、それとも友人が逮捕されるかも知れない、と感じている。また、私とその友人のどちらが最初に逮捕されてしまうか。何時彼らが来て、私を逮捕するのか、いつも恐怖の状態に置かれている」

 

   私は、時に、その恐怖をなんとか伝えたいと思っている。恐怖は、国籍も民族も性別も世代も関係ない、誰にも平等に与えられているはずだからだ。

 1948年12月10日、世界人権宣言が高らかに謳われた。あれから60年たった。何が変わって、何が変わらないのか。もし「すべての人間は、生まれながらにして自由であり、かつ尊厳と権利とについて平等である」と宣言するのなら、恐怖や貧困の現実もまた平等に分かち合ってもいいのでは、と思ってしまう。

   


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