2004年春、グアテマラを訪れた際、高架の歩道下に描かれたペイントを目にした。スペインによる植民制度とその遺産に対する抵抗を509年間続けている、というメッセージだ
った。なんと彼らは5世紀にもわたって植民地闘争を続けているのだ。
21世紀の時代、現実的には今のところ国を抜きにして国際社会を考えることはできない。その国を隔てる国境線は、時を経るにつれ、新しいアイデンティティ=国籍(国民)をつくり出している。民族・風習・文化という特性は、時代の洗礼を受けて生き残っている。だが、この「国家」や「国民」という考えは、人類の歴史に比して考えるなら、19世紀に生まれただけの、まだまだ幼い考え方でもある。ほんの200年ほどの歴史しかない。
国境線は、確かに地政学的には、国同士が繋がっている、あるいは分かれるということができる。それはあくまでも地理的な考えである。だが同時にこの国境線は、時間という単位を基準にして考えると、それぞれの国々は繋がったり、分かれたりしているのだろうか。時間の流れの中では、国境線は完全に分断だけの役割しかもっていない。
「国家」という単位を無防備に受け入れている現代の我々は、時代の裏に隠された「国境線」を直視しないことで、植民地制度の加害性から目をそらしているのかも知れない。
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タイとビルマ(ミャンマー)を隔てる小さな標識。向こう側がビルマ領、手前がタイ領。中央集権の力が及ばない山奥の村では、人びとは国境や国境線に縛られずに生活している。 |
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