しかし見方を考えれば、私自身もこの「湾岸戦争」の経験者なのだ。それは、目の前で爆撃や戦闘が起こっているということではない。実は、交戦国の一方に住んでいたからだ。もし、私の近親者や友人が戦う兵士の一人として現地に行っていたら、私はどう考えていたのだろう。果たして単純に戦争反対、派兵反対を主張できたかどうか。
 今、こうしている時にも、パレスチナ、コロンビア、チェチェン、コソボと世界中で戦闘・紛争が続いている。宗教・民族・領土、資源の奪い合い。そのひとつ、ひとつに向き合うことは、もちろんできない。
 しかし、理由はどうあれ、実際の戦争は地球上のどこかで起こっているのだ。しかもそれは、

遠い世界の出来事ではないのだ。そのことに、なぜ思い至らないのか。戦争は、すぐ隣の国、いや、私たちが住んでいる社会の中にも起こっているのだ。だが、それには想像が及ばない、そういう世界に生きているのだ。まず、このことを深く考えたい。
 「湾岸戦争」への米国市民の対処は、果たして「そこ」だけの問題に落ち着くのか。そうではないように思える。それは、日本に限らず、内向きに暮らすようになった先進諸国の一般市民にも当てはまるようだ。
 実際に起こった事態の後に「反戦」を唱えても、その効果は期待できない。湾岸戦争はそのことを教えてくれた。

−後戻りできないのが戦争の現実−
(つづく)

 


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