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あなたの言いたいこと
Vol.165/2011/10

今回は、前回を受けての投稿と、オーストラリアに来て4年になる男性からの投稿です。



「『勇気』と『失敗』」

 先日このコーナーに投稿 (Vol.164【勇気】9月号)させていただいた清水です。パースエクスプレス編集部より、投稿へいろいろな反響があったことを伺いました。その中に、「『勇気』をもって望んでいるようですが、いろいろと失敗もあったのでしょうね」といったお便りを下さった方がおられました。僭越ながら、私の失敗談を書かせていただき、「こんな馬鹿な人もいるんだ」と笑い、また『勇気』を感じていただけると幸いです。

 まず、文化の違いでの戸惑いや失敗もたくさんありましたが、どれも些細なことで、皆さんもご経験されたことだと思いますので、ここでは私の最も不得手とする“英語”にまつわる失敗談を書かせていただきます。
 私は、オーストラリアに来た当初、全く英語が話せませんでした。今でも喋れるうちには入っていません。どこに行っても、指差しで会話をしていました。カフェで「アイスクリーム」を頼んだときも氷(ice)が出てきたり、「デザート(dessert)⇔desert(砂漠)」のメニューを何度リクエストしても、店員さんに不思議な顔をされたりしました。
 電話も大嫌いでした。時には、黙って切ってしまう無礼もありました。今でも覚えていますが、とにかくゆっくりと、親切に話してくれた人がいて、私も何となく会話ができたつもりになり、いい気分だったのでしょうね。その電話の数日後、航空券とホテルのバウチャー、請求書が届いたことがありました。もちろん、自分が「Yes」と言ってしまったのでしょう。

 しかし、「郷に入っては郷に従え」ですので、自分からオーストラリア人との交流を積極的にするよう常日頃、心がけていました。この失敗は、今思い出しても顔から火が出るくらい恥ずかしくなります。
 オーストラリアの生活も徐々に慣れ始めた時のことでした。仲良くなったご近所さんが「Volunteer」と書かれたチラシを持ってきてくれたのです。この「Volunteer」という単語は初めて見たので、その場で直ぐに辞書を調べると、「志願兵」との訳も出てきました。「近所の池で兵隊を集う?」と勘違いした私は、「そうか、終戦記念の催しがあるのかな」と思い込み、当日、正装してその場に行ってみたのです。すると、集まっているみんなは、スニーカーにジャージ姿だったのです。今思えば、「ボランティアを募って清掃作業」だったのでしょうけど、そのご近所さんは80歳を越える年齢で、会えば日本軍が太平洋戦争でオーストラリアを空襲したことについてよく話をしていたので、そういった先入観がそんな失敗を起こさせたのでしょう。

 こんなこともありました。日本に居た頃の移動手段は電車だけでしたので、こちらの交通事情を知った時、車の必要性を痛感しました。そこで、思い切って車の免許取得にも挑戦しました。学科は英語を記号と思い、丸暗記で何とか合格し、実技はドライビング・スクールのインストラクターにかなりお世話になりました。今だからお話できますが、練習中に交通事故を起こさなかったのは、本当に奇跡だったと思います。とにかく、インストラクターの「right」と「left」に瞬時に対応できなかったのです。「right」と「left」を頭の中でいちいち「右」と「左」に訳していたので、反応がかなり遅かったようです。インストラクターの「turn left」の指示に「leftは右、左?」なんて考えていたら、もう曲がり角は過ぎていたなんて何度もありました。晴れて、免許証を持てる身分になり、なんだか自分もみんなの仲間入りができたんだ、と喜びながら、初めて自分の運転でガソリンスタンドに行きました。そこで、店員が給油をしてくれるのを延々と運転席で待ちました。当然、待てど暮らせど、誰も来てはくれませんでした。オーストラリアは、ほとんどがセルフサービスだということをその時、知りました。

 今も大の仲良しのオーストラリア人がいます。夫婦同士でのお付き合いをさせていただいておりますが、このご夫婦にある時、お宅へ招待を受けました。午後7時の招待で「tea」とのお誘いだったので夕食を済ませて伺ったら、豪華ディナーがテーブルの上に用意されていました。「tea」は「お茶」の「tea」以外に、オーストラリアでは「dinner(夕食)」の意味もあるそうなんです。あの時は、笑顔を絶やさず、「美味しい!」と言いながらいただき、パンパンのお腹で家路についたことことを記憶しています。
 これは逆に、私が、あるお友だちを夕食に誘ったときの失敗談です。日本食にあまり馴染みのないお友だちだったので、腕によりをかけて和食を作りました。しかし、彼女は、「vegetarian(菜食主義者)」だったのです。確かに「ベジタリアン」といった言葉は彼女との会話で何度か耳にしましたが、それが何という意味なのか知らず、聞き流してしまったんでしょうね。その夜は、テーブルの上の食事に手を付けず、お茶を飲みながら、ただおしゃべりだけのディナーとなってしまいました。

 自慢できるような話でははないのに、ここまで読んでくださりありがとうございました。『勇気』があれば『失敗』なんて何度でも乗り越えられると思っています。『勇気』が続く限り、『失敗』も続くのでしょうが、『失敗』を恐れて『勇気』を振り絞らない人生は、本当につまらない人生になってしまうと思っております。

<投稿者>清水 女性 69歳