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Barefoot in the Creek

 

 何よりも満足を得られた仕事は、ブッシュを切り開くことであった。骨の折れる重労働ではあったが、ブッシュがなだらかな牧草地に変わっていく見通しは輝かしく思え、私たちを奮い立たせた。
 結果的に、驚くべき短期間のうちに未開のブッシュから初期段階の農場が切り開かれた。開拓を進める一方で農場の日常仕事が続き、小さかった牛の群れも徐々に大きくなっていった。だが、厳しい労働が報われた開拓者はわずかであった。後年、ほとんどただ同然で土地を買い、家畜を飼うためやぶどう園、その他の目的でその土地を開拓した人たちには、開拓当初の膨大な量力を強いた方法など思いも寄らないことであろう。そういった初期の開拓者の努力をここに少し書き留めておきたい。

なぜなら、「初期の移住者」や「開拓者」といった言葉の本来の意味が、勇敢にも初めて集団移民計画で移民してきた子供たちの世代と共に葬り去られようとしているから。
 もちろん原始林の大規模な開発は、今日ではあの当時のように奨励されるどころか、認められていないことは認識されるべきである。だが、当時の州の状況は発達初期段階で、資源は無尽蔵であるかのように思われていた。しかし、非常に差し迫っていたことは、自給自足の必要性を含め、目前の早急に解決すべき経済問題であった。
 コミュニティー全体に影響のある発展は、子供だけでなく大人も興味をそそられ気晴らしになり、孤独の寂しさを慰めてくれるものは何でも歓迎した。