「いつ頃出発できるのでしょうか」と母が医者に尋ねると、「どちらへ行かれるのですか」と医者は聞いた。「グループ85へ」「で、それは正確にはどのあたりにあるんですか」
「正確には知らないのですが、バッセルトンの南のマーガレットリバー付近だと聞いてます」「ああ、そこなら多少わかります。マーガレットリバーにはリグビーという医者がいるけれども、1週間はここにいたほうがいいでしょう」
母は失望し、心配げだった。「旅を続けるわけにはいきませんか。グループの人も待っているだろうし、ここに滞在するための予想外の費用もかさんでしまいます」「それはわかりますが、傷口が直らないうちに出発するのはよい考えではありませんよ」
そして医者はちょっと躊躇してこう続けた。「集団開拓計画の状態は私も少し知っています。衛生状態はあまり良いとは言えないし、この時期は水が不足しがちです。
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再発の心配がなくなって自分で手当てができるようになるまでは出発しないほうがいいでしょう」
結局そこに留まることになったが、母にとっては暑さの不快感や腫れ物の痛みより、イギリスに残した愛するものとの別れのほうがやはり辛いものであった。母はその郷愁の思いを押し殺して、夫や子供たちにも打ち明けず、平常心を保とうと努めた。それが次第に健康や気力を害し、私たちの開拓生活の終焉にどれだけ関わっていたかその時は知る余地もなかった。
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