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明日は来る It wasn't my day today, but tomorrow will come.
Vol.173/2012/6

第2回「挑戦」


契約書


 4月28日、リーグ戦6戦目で山田の出番は、1‐1で迎えた後半だった。ポジションは、右サイドのフォワード。またもや不慣れなポジションだが、果敢にボールを追った。前回と全く同じ、24分間のプレー。ボールには、前試合の倍の14回絡む。山田がピッチに入ってからのチームの攻撃は、全て山田の右サイドからだった。それは、山田がチームメイトから信頼を確実なものにしたことを物語っていた。これは、一朝一夕で勝ち取れるものではない。山田が努力で掴んだものだった。アイコンタクトで、山田にパスが飛ぶ。コーチからも具体的な指示が飛ぶ。

 5月5日、リーグ戦7戦目はトップチームのベンチスタートだったが、後半の終了間際での出場は、自分の望んでいるポジションに交替選手として入り、プレーができた。この交替も大きな意味があった。空いているポジションにあてがわれているのではなく、山田が正式にチームメイトとのポジション争いにのろしを上げたことになる。
 そして、5月12日の2戦目のカップ戦で、トップチームで初のフル出場を果たす。試合も5‐1で勝利を収めた。それを受け、19日のリーグ戦8戦目から26日の9戦目、6月2日の10戦目と、同じくトップチームでフル出場を果たし、試合も3連勝を収める。カップ戦を含めた4試合連続のトップチーム、フル出場となった。

 しかし、6月2日の試合後、山田から「試合には勝利しましたが、ここ最近の中で恐らく最も消極的なプレーで、ミスも犯し、自分のプレーに全く満足できない試合となってしまいました。しかも、グローリーのFerguson監督が観に来られていたようです」とのメールが届く。
 6月4日のカップ戦3戦目では、途中交替を命じられ、 6月7日の練習後のメンバー発表では、リーグ戦11戦目のスターティング・メンバーから山田の名前は外されていた。


山田 孝次(Koji Yamada)
1981年12月22日生まれ。東京都町田市出身。2003年にルーマニアの1部チームとプロ契約を交わし、2006年に日本帰国後、ジェフユナイテッド市原・千葉アマチュアチーム(現ジェフユナイテッド市原・千葉リザーブズ)、FC琉球、カマタマーレ讃岐、エリース東京FCでプレー。2010年からはFCコラソン・プリンシパルに在籍していた。右利き、身長178㎝、体重68㎏。


今城 康雄
2005年のオーストラリア・プロサッカーリーグ、Aリーグの開幕以来、Aリーグ公式メディアとして取材を重ね、パース・グローリーのホームゲームでは同じく2005年の開幕戦から現在に至るまで記者席よりリポートを届けている。