Japan Australia Information Link Media パースエクスプレス

明日は来る It wasn't my day today, but tomorrow will come.
Vol.172/2012/5

第1回「契約書」


 2011年11月8日、日本からの国際電話で山田と話をしたのが、最初だった。「プロリーグでのプレーを希望している」といったシンプルなものだった。それを受け、パース・グローリーのチーム関係者の知人にそれとなく打診すると、メールでその選手の詳細を送ってくれと言われた。しかし、件名「Japanese Player」への返信は、待つこと2週間、届かなかった。「練習に参加させてほしい。山田を見てほしい」といった要求を再三したが、最後に「シーズン中で時間が取れない」という理由で返信が途絶えた。
年が明け、2012年1月6日に代案として「州リーグのチームを紹介してくれないか」と一報を入れる。すると、「Inglewood Unitedはどうかな?」といった返信が来た。すぐさま、Inglewood Unitedにメールを入れると、あっさりと練習日程が紹介された。山田がワーキングホリデー・ビザを取得した次の日のことだった。Aリーグへの門戸は開かなかったが、開かせるための準備は整った。あとは、山田がパースに来るだけだった。

   『2月22日にパース入り』といった山田からの知らせを受け、クラブ側に再確認のメールを入れる。すると「参加選手がいっぱいとなってしまった。少し待ってほしい」と。慌てた。話が違う。「昨日、山田はすでにパース入りしている。今さら、そんなことを言われても」と切り返すも、どうにもならない。1週間が過ぎ、「ただ、練習に参加させてもらい、山田を見てほしい」と再度懇願した。
 プロリーグのAリーグを諦め、ランクを下げたセミプロの州リーグへの挑戦だったため、「とにかく、プレーさえ見てもらえれば、先に進める」といった不確かながらの自信はあった。そして、3月2日。「4日の日曜日にビーチで、フィジカル・トレーニングをするから来てくれ」といった内容のメールが入った。
 日本での所属チームに別れを告げ、心機一転、海外での再挑戦を決意し、渡豪した山田。しかし、所属クラブが決まらず時間を無駄にしてしまうのではないかといった大きな不安が、この朗報で吹き飛んだ。心から喜んだ。