Vol.193/2014/02
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白人至上主義団体KKKを率いる David Duke が、ボストンにやってきた。その時、彼に対するデモ行進に参加していた女性。フラッシュ光を使っての撮影後、女性の肌のトーンを出すのに苦労する。
さて、カラーの世界を脇に置いて、モノクロ写真を撮るために周りを見渡してみると、眼に入ってくる光景は様々な濃淡を持つグレーで溢れている。光の当たらないところは濃いグレーで、光の当たるところは明るいグレー。ところが、モノを見る人間の眼は非常に柔軟性があり、これらのモノを表現するのには11〜20の階調で収まらない。しかし、写真を撮影するのに使うフィルムは物理的なアナログの工業生産物である。そこには人間の眼とは違い、限界がある。しかも一口でグレーといっても、人によって、見た対象のそれぞれに濃淡や陰影に差が出る。そこで、工業製品であるフィルムや印画紙を使って写真表現をする際、自ずと基準が必要となってくる。そのため、コダック社が業界標準のグレーを設定することになる。それでできあがったのが 〔20%(18%)の標準反射板〕である。黒でもなく白でもない、濃いグレーも明るいグレーも、〔20%のグレー〕がモノクロ写真の基準となった。
もっとも、アナログ写真からデジタル写真に移行した現在、この20%のグレー基準は当てはまらない。デジタル写真は今、8ビットが主流である。8ビットといえば、2×2×2×2×2×2×2×2=256なので、256階調ものグレー色の濃淡を表現することができる。さらに、プロの写真家が使う16ビットになると、65,536階調にもなる。
8ビットの写真が出現した際、写真の愛好家の間で、写真はモノクロの表現に近づいたがまだまだだ、という声があがった。だが、16ビットの写真が使われるようになると、今度は、モノ(物体)の質感にリアリティがなくなったとも囁かれ始めた。というのも、16ビットの階調で表現した写真はモノを詳細に再現し過ぎて、もはや人間の眼の認識を超えてしまったからだ。
また、デジタルカメラによっては、白黒写真仕上げやセピア色仕上げなど、写真のできあがりを指定できる機種もある。製品技術がお粗末な時代だった頃の写真は、時間とともに褪色していくのが普通であった。ところが今や、セピア色になった古ぼけた写真を手にする若者は数少ないであろう。紙のプリント写真ではなく、液晶画面のイメージを中心に写真を楽しむ人びとも増えてきた。デジタル表現の今は、考えようによっては、あたかもその時代の褪色を疑似体験できたり、実社会の変化を実体験できる時代でもある。