Vol.189/2013/10
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“BEAT GENERATION & THE ANGRY YOUNG MEN”の冒頭に次のような説明がある。
One of the most significant development in post-World War Ⅱ literature, on both side of the Atlantic, was the rise of realistic school of writing as practised by the authors in this book.
ビートや「怒れる若者」という存在は当初、あくまでも大西洋を挟んだ欧米の流れから生まれた。
日本研究の大家ドナルド・キーンさんの『日本との出会い』という本を読んでいて、ジャック・ケルアックの名前が出てきたのにはびっくりした。
あるパーティーでは主賓が棟方志功氏で、大方の出席者はビート族でありその運動の指導者のアラン・ギンズバーグとジャック・ケルアックも混じっていた。私が部屋にはいって行くと、ギンズバーグが若い日本人に、今俳句を作ったからそれを棟方さんのために翻訳してほしいと頼んでいるところだった。……… その間ケルアックは、部屋の向こう側から私の名を大声で呼び続けていて、彼がサンスクリット(梵語)で発音するさまざまな仏教の専門語を日本語に翻訳しろと言った。
私はこの禅に対する(そして日本文化のその他の面に対しても)こうした興味の深さや真摯さには疑いを抱いたが、孤独な局外者であるよりは、未熟な「ブーム」の一翼をになう方がおもしろいにちがいなかった。
キーンさんとケルアックが、同じ1922年生まれというにも驚いた。
米国のビート世代の若者の多くはその後、「オリエンタリズム」に影響されたのか、「禅」に強く惹かれていった。そういう時代だったのだ。禅を極めたビートニクスもいたが、多くはブームに乗った人びとだった。
そして今、あの“On the Road”が反対にブームになっている。そんな気がしてならない。映画の上映が10年ほど前なら、たぶん映画化された“On the Road”を見に行ったと思う。だが、今となっては、視覚化された『オン・ザ・ロード』を見に行こうとは思わない。それは、ビートニクスのジャック・ケルアックが書いた 『オン・ザ・ロード』ではないのだ。あくまでも小説こそが、彼の作品である、と思うからだ。
本書の中で、気になっているフレーズがある。
'You can't teach the old maestro a new tune' という一文が本文中に、繰り返し出てくる。実はこれこそが、ケルアックの言いたかったことではないかと思う。
つまりは、人の生き方は変えられない、ということを。