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フォトジャーナリスト宇田有三氏による衝撃ルポ

On The Road by.Yuzo Uda
Vol.188/2013/09

ビルマ(ミャンマー)の「ロヒンジャ問題」を手がかりにして(11)—最終回



 「政府は、これらの人々に対し、出生・死亡登録、教育、保健、福祉などについて、他の民族と同様の完全かつ公平な処遇を行っている。公的記録では、彼らはベンガリー種族のベンガリー民族グループとしてリストに掲載され、ビルマ国内の永住者として認められている。(訳出:アムネスティの報告書)」
 「民政移管」後のビルマ新政府は現在、49年ぶりに招集された議会においてロヒンジャの国籍問題を論じているが、2004年の時点で「ロヒンジャの人びとを永住者として認め、他の民族同様に公平な処遇を行っている」としていた。  だが、これらの文言は完全に反故にされ、実際のところ、まったく履行されてこなかった。だから、ロヒンジャの人びとが、自分たちの生存をかけて抗議行動を起こしているのである。
 ロヒンジャを巡る私の最大の疑問と回答がここに示されている —ロヒンジャの人びとは、彼ら彼女らのアイデンティティとして、イスラームがまず初めにくる。また、ロヒンジャたちの「我々は何世代にもわたってビルマに住み続けてきた民族であるから、当然、ビルマに居住する権利はある」という主張は、仏教支配のアラカン王朝を祖先に持つラカイン人たちの誇りを傷つける(否定する)ことになる。つまり、ロヒンジャたちは、自分たちが民族性を主張することによってアラカン王朝はもともとイスラーム王朝だと公言し、その見解を繰り返しているのだ。  では、どうしてロヒンジャたちは、ビルマの人びと、特にラカインの人びとの強い反発を受けながらも、ロヒンジャという「民族性」を強く主張し始めたのか、ということである。中国系のパンディー・ムスリム、マレー系のパシュー・ムスリム、或いはポルトガル系のバインジーの人びとからは、そのような民族性に関する主張が聞こえてこないのに…。
 軍政下ビルマで、少数派民族を含め多くの人びとは、長らく超法規的な状態に置かれ、公平で公正な扱いをされてこなかった。特に、バングラデシュと国境を接する北ラカイン州で、政府の役人や軍関係者は賄賂を得ることで、バングラデシュとビルマ間の不法な入出国を見逃したり、或いは彼らに不法なビルマ人としての身分証明書を出すことによって、ムスリム人の人口が増えてきた。
 そこで、ラカイン人たちは、前号で説明したように、日常生活の恐怖としてムスリム人であるロヒンジャたちの人口増加を恐れるのである。ここにロヒンジャとラカイン人の激しい対立がある。
 誰もが平和に暮らしたい、問題なく共存したいと願っている。だが、ビルマ人、ラカイン人、ロヒンジャの人びとは、まずは英国の植民地行政下で、引き続き「アジア・太平洋戦争」に巻き込まれてきた。1962年に軍事クーデターが起こるまでの民主政府の時期、ビルマではロヒンジャの権利はある程度認められていた。さらに1990年の総選挙では、ロヒンジャという名称は使うことができなかったが、選挙権どころか被選挙権もあり、実際、ロヒンジャの議員が当選していた(National Democratic Party for Human Rights)。それなのに、その後、ロヒンジャたちの権利が奪われ続けている事実がある。