Vol.187/2013/08
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クルアーン(コーラン)を手にイスラームの教義を学ぶロヒンジャ難民の男の子たち。
ラカイン人難民たちが身を寄せ合って暮らしている区画で、彼らの身の上話を聞いていたら、日本人が来ているということで、小冊子を見せられた。20世紀初めビルマ国内のラカイン州に生まれたウー・オッタマという僧侶が、1914年にビルマで出版した『日本国伝記』の日本語訳であった。
ウー・オッタマは、英国の植民値支配に抵抗運動を指導した高僧である。また、別のラカイン人からは、英語とベンガル語で書かれた、コックスバザールに建つ仏教寺院を紹介している『RAKHINENALOK(Oct. 2008)』という小冊子を手に入れた。その冊子の扉を開いて驚いた。
そこには、“Dedicated to the Memory of Grandmother late Mrs. Mra Khine who was killed at her 65 years of age in the last April 1942 on bomb attack by the Japanese force at Cox's Bazar during the second world war and ... both of them lost their lives on the same sopt and same case.” とあった。
アジア・太平洋戦争時、旧日本軍はコックスバザールまで侵攻し、その記憶が2008年の時点でも、一部ではあるかもしれないが、語り継がれているのである。
「(日本占領期に)日本とイギリスがそれぞれに宗教別に地元の人々から構成される軍を作り、戦わせたということです。(中略)両者の軍事的対立は帝国主義イギリスを倒すとか、ファシスト日本を倒すという大目的ではなく、イスラム教徒対仏教徒の血で血を洗う民族紛争、宗教紛争と化していきました。そして、両者の間に取り返しのつかないトラウマがこの時に生じるわけです」(根本敬「ロヒンギャー問題」の歴史的背景『アリンヤウン』No.33)という話が裏付けられた。
(続く)