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フォトジャーナリスト宇田有三氏による衝撃ルポ

On The Road by.Yuzo Uda
Vol.183/2013/04

「ビルマ(ミャンマー)の「ロヒンジャ問題」を手がかりにして(7)」



 ビルマの西部ラカイン州を4度訪れた。ラカイン州北部は、隣国バングラデシュと国境を接する。そのラカイン州北部には、ビルマに暮らす大多数のロヒンジャの人びとが暮らしているのだ。
 2003年には州都シットゥエから地元の人に交じって船に乗り込み、外国人がほとんど訪れることのなかったミンビャという町に足を踏み入れた。ミンビャの市場では、肌の色の濃いムスリム、或いはインド系の人びとの姿を多く見かけた。一見すると、仏教徒もムスリムたちも、何の問題なく共存して暮らしているようであった。そこには、表だって宗教や民族を理由とする諍いはなかった。
 シットゥエ〜ミンビャ間の船上でカメラを盗まれた私は、ミンビャの警察署を訪れた。そこの警察署長はヤンゴンから赴任したビルマ人で、「この地域の治安関係の全てを私が管轄している。ラカイン人もムスリムも、ビルマ人である我々が抑えているんだぞ」と強調していた。
 ほんの数年前まで、当局が軍の力で誰彼も押さえ込んでいるその状況こそ、自分が感じたビルマでの(暴)力だった。
 2010年4月末、ラカイン州のミャウーとういう仏教遺跡で有名な地域をオートバイで走り回っていた。その時、ウエッタリーという町の近くで、農作業帰りの肌の浅黒い人びとに出会った。彼らに、「何人?」ってきくと、やはり「ムスリム」という答えであった。「ロヒンジャ?」と聞くと、「そうだ」と答えが返ってきた。
 「ロヒンジャ問題」を理解しようと思えば、ビルマ国内においてイスラームに対する偏見が(一部ではあるかも知れないが)、強くあるということをまず理解しておかねばならない。
 2012年9月、ビルマとタイとの国境線を訪れた知人が偶然、ムスリムのビルマ人と出会った。知人がそのムスリム人に「ロヒンジャか?」と聞くと、「私はバマー・ムスリムだ。ロヒンジャと一緒にするな」とロヒンジャを差別するようなニュアンスの発言を聞いたという。
 私自身も2013年1月、最大都市ヤンゴンで出会ったカマン・ムスリムに、ロヒンジャのことをどう思う?と聞いてみた。
 「あいつらはバングラデシュから来た奴らだ。ミャンマー人じゃない」と確信を持って私に答えた。
 「でも、同じムスリムでしょう、助け合わないの?」とたたみかけるように問うと、彼は口をつぐんで、困惑顔をしてしまった。
 仏教至上主義を掲げていたビルマ軍事政権のもと、差別の対象に置かれていたのは、非仏教徒のムスリム人たちであった。そのムスリム人たちの中でも最も迫害されてきたのが、ベンガル系のムスリム人であるロヒンジャである。いくつかの種類のあるムスリムの中(2012年11月号Vol. 178参照)で、どうしてロヒンジャだけが極端な迫害を受け続けているのか。それもまた分からないのである。