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フォトジャーナリスト宇田有三氏による衝撃ルポ

On The Road by.Yuzo Uda
Vol.180/2013/01

「ビルマ(ミャンマー)の「ロヒンジャ問題」を手がかりにして(5)」


籾殻を風選にかける農民たち(シャン州西部、2005年)

稲を刈り入れ脱穀した後、籾殻を風選にかける農民たち(シャン州西部、2005年)。


 時代や社会の移り変わり、その時々の政治勢力によって呼称も変わるのも当然かもしれない。政治的な意味合いを含めないとしたら、その流れには抗えないであろう。現在、「ビルマ」という国名は世界の中で、これまで以上に〈ミャンマー〉呼ばれている。  それではなぜ、私がいまだに〈ミャンマー〉という単独ではなく「ビルマ(ミャンマー)」あるいは「ミャンマー(ビルマ)」と2つの単語を併記して使い続けるのか。
 それは、1989年の軍事政権(「国家法秩序回復評議会」=SLORC)がいくつかの歴史的な事実の書き換えを行い、日本政府と日本のメディアはそのことに対して当然の疑問を差し挟むことなく、「日本語」の国名表の変更を当然としてきた事実を記しておきたかったからである。結果的に、当時の軍事政権を支える言動が繰り返されてきた事実は消されないのである。
 忘れるということがなければ、人間はある意味、前へ進めない。また、時が経てば個々人のこだわりも弱くなっていくだろう。ビルマに関わって、一つの国と地域の歴史と時代を見てきた者として、或いはそこで何人もの死を見て来た者として、果たして、それでもその忘却に乗っかり、時に自分に妥協しながらやるのが自分の選ぶ道なのか。 
 しかしながら、〈ビルマ〉という国名を単独で使い続けると、日本では事実上〈ミャンマー〉という呼び方が一般化しているため、現地の実情を伝えようと記事を書いたとしても、その報告を読む読者に内容が伝わらないおそれがある。そこで、「ビルマ(ミャンマー)」或いは「ミャンマー(ビルマ)」という表記を使うようになってきた。


(続く)