About us
|
English
特集
徒然パースの生活日誌
リレー小説
継続のエクササイズ
世界の料理
蹴球戯言
パースのニュース
あなたの言いたいこと
フォトコンテスト
パースからお笑い芸人!
パースグローリー
過去の連載
ネバーエバーストップ
世界の頂点を狙う
ドロップアウトの達人
父親になった俺サマ
Barefoot in the Creek
料理の哲人
Madison
Nihongo Express
すらすらスラング
それでも生きる
おしゃれ道
明日は来る
ムラの行方
On the Road
パースエクスプレス
フットサル大会
Editor's Note
Ijapan Vol.01
Ijapan Vol.02
Ijapan Vol.03
About Perth〜オーストラリア・パースを知る〜
Link to Perth 〜パースのお役立ちスポット〜
▼ Back Number
シリーズ 185 (最終回)「漂泊のフォトジャーナリスト」
シリーズ 184 「記者としてのフォトジャーナリスト」
シリーズ 183 「写真家としてのフォトジャーナリスト」
シリーズ 182 「ビルマ(ミャンマー)の25年ぶりの総選挙が終わった」
シリーズ 181 「<Room 411>に暮らして(3・下)」
シリーズ 180 「<Room 411>に暮らして(3・上)」
シリーズ 179 「<Room 411>に暮らして(2)」
シリーズ 178 「<Room 411>に暮らして(1)」
シリーズ 177 「再度—『ロヒンジャ問題』をてがかりにして」
シリーズ 176 「記憶と記録の交叉(5)」
シリーズ 175 「観光コースでないミャンマー(ビルマ)」
シリーズ 174 「記憶と記録の交叉(4)」
シリーズ 173 「宇田有三の世界に触れる」
シリーズ 172 「記憶と記録の交叉(3)」
シリーズ 171 「記憶と記録の交叉(2)」
シリーズ 170 「記憶と記録の交叉(1)」
シリーズ 169 「抗いの彷徨(9)—下」
シリーズ 168 「抗いの彷徨(9)—中」
シリーズ 167 「抗いの彷徨(9)—上」
シリーズ 166 「抗いの彷徨(8)」
シリーズ 165 「抗いの彷徨(7)」
シリーズ 164 「抗いの彷徨(6)」
シリーズ 163 「抗いの彷徨(5)」
シリーズ 162 「抗いの彷徨(4)」
シリーズ 161 「抗いの彷徨(3)」
シリーズ 160 「抗いの彷徨(2)」
シリーズ 159 「地道な『国民の知る権利』の行使」
シリーズ 158 「抗いの彷徨(1)」
シリーズ 157 「“On the Road”『オン・ザ・ロード』」
シリーズ 156 「『ロヒンジャ問題』を手がかりにして 最終回」
シリーズ 155 「『ロヒンジャ問題』を手がかりにして(10)」
シリーズ 154 「『ロヒンジャ問題』を手がかりにして(9)」
シリーズ 153 「『ロヒンジャ問題』を手がかりにして(8)」
シリーズ 152 「『ロヒンジャ問題』を手がかりにして─番外編─」
シリーズ 151 「『ロヒンジャ問題』を手がかりにして(7)」
シリーズ 150 「『ロヒンジャ問題』を手がかりにして(6)」
シリーズ 149 「風になりたい」
シリーズ 148 「『ロヒンジャ問題』を手がかりにして(5)」
シリーズ 147 「『ロヒンジャ問題』を手がかりにして(4)」
シリーズ 146 「『ロヒンジャ問題』を手がかりにして(3)」
シリーズ 145 「『ロヒンジャ問題』を手がかりにして(2)」
シリーズ 144 「『ロヒンジャ問題』を手がかりにして(1)」
シリーズ 143 「続『ビルマ(ミャンマー)』から『沖縄』へ」
シリーズ 142 「『ビルマ(ミャンマー)』から『沖縄』へ」
シリーズ 141 「当事者の声がきこえない(下)」
シリーズ 140 「当事者の声がきこえない(上)」
シリーズ 139 「筆者『宇田有三』と『On the Road』」
シリーズ 138 「独裁国家の変化─鵺のような捉えどころのなさ」
シリーズ 137 「ビルマ(ミャンマー)の女性たち(1)」
シリーズ 136 「原子力とだまされた責任」
シリーズ 135 「何が彼を変えたのか」
シリーズ 134 「写真民俗誌/写真民族誌への手がかり(4)」
シリーズ 133 「写真民俗誌/写真民族誌への手がかり(3)」
シリーズ 132 「写真民俗誌/写真民族誌への手がかり(2)」
シリーズ 131 「写真民俗誌/写真民族誌への手がかり(1)」
シリーズ 130 「最初で最後の新聞記事」
シリーズ 129 「アウンサンスーチー氏の解放の喜び」
シリーズ 128 「--14年の後、結婚しました--」
シリーズ 127 「宇田有三が見るビルマ(2010年)」
シリーズ 126 「書くことと自然の癒し」
シリーズ 125 「恐怖と隣り合わせの日本の戦後民主主義」
シリーズ 124 「信仰のある風景」
シリーズ 123 「ビルマの暑い日々」
シリーズ 122 「表の仏教、裏のナッ神」
シリーズ 121 「黄色やら、赤やら、ピンクやら」
シリーズ 120 「差別の構造」
シリーズ 119 「それを言うことによって何を言う」
シリーズ 118 「閉ざされた国 ビルマ(後)」
シリーズ 117 「閉ざされた国 ビルマ(前)」
シリーズ 116 「今、あえて『志(こころざし)』を」
▽バックナンバーはこちら
ツイート
Vol.180/2013/01
「ビルマ(ミャンマー)の「ロヒンジャ問題」を手がかりにして(5)」
ここで問題なのは、メディアの位置である。日本のメディアは“<2>ビルマ語を使わないビルマ以外の人びと(私たち)”だが、そこには細かく2つの立場がある。
<2>—(A)日本政府の広報紙のようになって、政府の方針をそのまま伝える。
<2>—(B)日本政府とは別の方針を持って、「ビルマ」から「ミャンマー」へと日本語表記を変える。
<2>—(A)新聞各紙は、日本政府が日本語表記を〈ビルマ〉から〈ミャンマー〉へ変えたという理由だけで、現地の実状をあまり深く検討(研究)しないで変更した。
<2>—(B)であるが、日本の新聞各紙は、現地の呼び方や発音を尊重する方針だとしている。
だが、〈ビルマ〉と〈ミャンマー〉は、実は、同じ「ビルマ族」を表しているだけなのである。呼称に関して、過去に政治的な意味が加えられたという、ビルマにおける歴史的な背景を考慮に入れていない(前号で説明)。
また1989年当時のビルマにおいて、口語では〈ビルマ〉が、文語では〈ミャンマー〉が一般的であったとしても、日本語の表記は従来〈ビルマ〉であって、そこに敢えて英語読みから変更する理由はない。
また、ビルマにおいて最も重要な問題で、今のビルマが抱える各民族問題をすっ飛ばしている。現地読みと言えば聞こえはいいが、実は、その現地読みを採用するその基準や危険性を全く考慮に入れていない。汎ビルマ主義の台頭を危惧する少数派民族の危惧などを考えていない。つまりは現地への理解不足である。
〈ビルマ〉か〈ミャンマー〉に関して、さらに、以下の理由も付け加えられるであろう。
東京外大や大阪大学(旧大阪外大)のウエブサイトを見ると、いまだに「ビルマ」「ビルマ語」と従来の日本語表記を使い続けている。
日本のビルマ研究者の中には〈ミャンマー〉表記を使っている研究者も増えつつあるが、その研究者の集いの名称は今だに「ビルマ研究会」である。
日本のメディアによる〈ビルマ〉から〈ミャンマー〉への呼称変更は、実のところ、それほど深く考えられたとはいえない。