ビルマ(ミャンマー)の西、バングラデシュ国境が近いラカイン州の州都シットウェ(シットゥエ)の中心部に建つ時計塔。この時計塔は15〜16世紀頃、オランダによって建てられたとされる。この時期、西欧やイスラム諸国が海を渡ってこの地域にやって来たという歴史がある。その流れにこの時計台は関係するのだろうか。この写真から文化人類学者は、車は右側通行だとか、写真の中に見られるビルマ国旗を見てこの写真が2010年10月以前の写真だという情報を読み取るであろうか。
先月号(連載シリーズ131)では、ビルマ(ミャンマー)各地に建てられた7種類の時計台を例に挙げた。日本の1.8倍の広さがあるビルマでは、同じような形の時計台が各地に建っている。それぞれの時計台には特徴があり、現場を歩いた人ならその写真を見て、それらがどの地域に建っているのか即座に言い当てることができるだろう。 また、ある程度、ビルマを知っている人なら、現場に行かなくともその写真を見ただけで、どの時計台がどの地方都市に建っているのか判定することもできる。 例えばカレン州の州都パアン市の中央に建つ時計台には、牛の角や太鼓の模様が施されており、それを見るだけで、そこがカレン州だとすぐに分かる。また、時計台の台座の一部に日本語のプレートがはめ込まれているのを見ると、そこがカチン州だと推測できる。 自分の生まれ故郷を離れたビルマの人が、それらの時計台の写真を見た時、そこに自分のふる里を思い起こすことができれば、時計台の写真はある種の郷愁を覚えるきっかけとなる。また、第三者がこれらの時計台の写真を見た時、それが単に物珍しい建物ではなく、それには何かを象徴するものが含まれているとある程度感じることができれば、そこに暮らす人の存在まで連想することもできるのではないだろうか。 つまり、写真から、その土地に暮らす人びとの意思や営みの歴史までも想像することが可能ともなるのだ。それは説明写真ではなく、新たに気づいたり、確認したりできる内容を含んだ写真となるのである。 写真は、写真に写っていない、目に見えないものを感じ取る道具ともなり得る。それこそが、写真の『見る』から『読む』という行為への転換である。つまりは、写真民俗誌/写真民族誌への第一歩である。