ここにビルマ(ミャンマー)で撮影した7つの時計台がある。これら7種類の時計台は、ビルマ全土を歩いた私自身が撮影したものである。15〜16世紀から20世紀初頭の植民地時代に建てられた時計台だ。
これらの時計台は、ある意味、ビルマらしさを表している。また、これらは生活の風景の一部になってしまったため、ビルマの人にとっては郷愁を誘う建物である。つまりは、写真の被写体になりやすい事物である。
ところで、どの時計台がどの地域の建物か、分かるだろうか。地図上に撮影地点を紫色の“●マーク”で示してみた。これに答えるには、時計台が写った写真を深く「読む」必要がある。
ちなみに次のような、日本の人類学者や民俗学者たちによる話がある。
仲間に日本各地を写した写真を、地名を隠したままで数枚見せる。そしてその土地のどこか当てっこをよくしました。「写真を読む」という研究会でした。すると、たいていは五分くらいでその土地の名を言い当てられてしまう。
個人的には、日本では映像教育、例えば写真から情報を読み取るという教育はあまりなされてこなかった(と思う)。社会的にも「文字」は映像に比べて常に上位にあり、映像は下位に抑えられてきた歴史がある。文学や論文などの文字情報には、行間を読むという言葉があるほどだ。それに比べて、映像の中味を読み取る力量はそれほど重視されてこなかった。そういう状態がこの間、日本ではずっと伝統になってきたとも思える。
絵画は別として、事象を正確に写しとる写真は、たかだか160年の歴史しかない。歴史が浅いから、まあ、仕方ないことだろう。
ちなみに、前記の研究者の話の続きであるが、写真から情報を読み取れるのは、自分なりの判断基準を持っている人だそうだ。「そういう自分なりの物差しを持てるのは、歩いていないと身に付かない。また、歩くことで自分の物差しをしっかりしたものにすることができる」とも言えそうだ。
写真の読み取りが出来る人は、まず第一に、現場を歩いている人であるといえる。
(続く) |