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第160回「教育に携わっていきたい」中山 知之さんのある日

今月の人

中山 知之(なかやま ともゆき)さん 23歳

日本で中学一年生から親元を離れて寮生活を送った。選ばれしサッカー選手のエリート養成機関に身を委ね、プロのサッカー選手を目指しながら中・高校生活を過した。大学進学、卒業後も目標を変えずプロを目指すも、“海外でプレーする”が大前提だった。海外に出るといった強い信念があったからだ。そして、実際に日本国内でプロとしてプレーするチャンスはあったものの、“自分は海外に出たい”という思いから、海外でサッカーができないのならサッカーを辞めるという決断をする。中学時代には胸に日の丸をつけ、国際試合にも出場した経験のある中山さん。海外への強い思いと、そして現在は留学エージェントでカウンセリングの仕事などをしながら、将来は教育に携わる仕事に就きたいと話す中山さんの一日を紹介します。

 


渡豪前


3歳から地元のクラブでサッカーをはじめ、小学校卒業とともに狭き門で知られ、サッカーのエリートを育てることを目標にしている教育機関に入学した。地元の中学・高校に通学して学生としての学校教育を受け、放課後にサッカーを含めた各種教育をその教育機関で受けた。写真は中学生の頃、世代別の日本代表として国際試合に出場した時の中山さん(下段左から3番目)。

 

高校3年生の時の中山さん(写真上段左から4番目)。既にこの時に国内のチームとプロ契約を結んでいたチームメートがいたが、「自分はこの時、海外に出たいと考えていました。もちろん、サッカーで海外にですが…」と話す中山さんは、大学は将来を見据えて外国語学部に入学する。

 

2012年12月の自身が高校3年生の時、来季の『高円宮杯JFA U-18サッカープレミアリーグ』へ昇格を決めた時のチームメートたちと記念撮影。

 

大学進学後もプロを目指してボールを追い続けた。大学4年生の時は『天皇杯全日本サッカー大会』に出場し、1回戦でプロのチームに勝利して大金星を挙げた。写真は当時、サッカー専門新聞にその時の試合模様が取り上げられた記事の一部(中央で白色のユニフォームを着ているのが中山さん)。

 

試合後、勝利に大きく貢献したためメディアからインタビューを受ける中山さん。

 

2回戦では、日本プロサッカーリーグの一部(J1)所属のチームと対戦し、惜しくも敗戦したが、元日本代表選手を擁する相手チームに大学生チームは善戦した。これらの活躍が評価され、日本国内のプロチームから練習参加の打診を受けたが、かねてからの“海外”にしか興味を示さず、全て断った。

 

大学の卒業を控える中でオーストリアのプロチームへの練習参加、卒業後にアメリカでのチーム加入と、プロ契約のオファーを掴むために挑戦を続けるも機会に恵まれず、日本に帰国。そして、日本のプロチームの練習に参加するも、やはり自分の目指すところは“海外”ということから、大きな決断をする。「国内でサッカーをするのなら、サッカーを辞めて、海外に行こうと考えました。海外に行くことの方がサッカーよりも大切だったんでしょうね」と話す中山さん。そして、オーストラリアへ。

 
 


渡豪後


 


8:00 am

「バックパッカーズは最高です。自分から出向かずに、毎回、友達になるであろう人が自分の方へ来てくれるんですから!」と話す中山さんは、パース市内のバックパッカーズに宿泊し、施設の掃除をしながらフリーアコモデーションを得ている。毎朝、ほうきとモップで床を掃除し、テーブルなどもきれいにする中山さん。
 


9:00 am

読書も日課。仕事に行く前に、電子書籍で本を読む中山さん。
 


10:15 am

日中は、留学エージェントで働く中山さん。出社はいつも徒歩で。
 


1:00 pm

仕事の内容は、お客さんからの問い合わせの対応やカウンセリング、留学先の学校やホームステイの手配など。「サッカーを辞め、今後自分がどう生きたいのか自問自答した時、漠然とですが“世の中を良くしたい”と思いました。そのためには人で構成されている世の中なんだから、人を良くする必要があると思い、その人を良くするのは教育だと思ったんです。もちろん、留学を斡旋している仕事は教育の一部なのでその関連の仕事ができているのは良いことですが、いろいろと自分が経験したことをカウンセリングなどで反映させられるのも理由として、この仕事に就いているんだと思います」
 


6:15 pm

仕事の後、バックパッカーズで知り合った友人たちとシティで開かれていたイベントを楽しむ中山さん。
 


8:00 pm

自炊する中山さん。スポーツと共に生きてきたので食生活や健康には自然と注意を払う。
 


9:00 pm

夕食後は、パソコンを使い英語の勉強をする。「中学校からプロのサッカー選手になるんだと自分に言い聞かせ、周りからもそう思われてきました。ただ、サッカーをきっぱり辞め、全く後悔はしていません。今は、“海外に行きたい”という夢が叶い、今しかできない事ができていると思っています。まだしばらく海外でいろいろな経験を積みたいと思っていますが、将来はその経験を活かして、“世の中を良くする”ための教育に携われればと思っています」と話す中山さんでした。







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