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【徒然パースの生活日誌】第176回「理学療法士が海外留学を経て、家族で海外移住を目指す野澤涼さん」

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日本で理学療法士として急性期病院で働きながらも、「患者さんに十分に貢献できていない」と感じ、「もっとまともなセラピストになれるように勉強したい」と一念発起して、オーストラリアのパースへ海外留学を決意した野澤さん。しかし、思いは海外留学だけではなく、家族との海外移住も視野に入れた渡豪でした。

日本の大学で理学療法を学び、国家試験を経て理学療法士になった野澤さんは、東京の病院に勤務していました。ただ、クリニカルリーズニングという系統だった理学療法教育で、自分のセラピストとしてキャリアを更に向上させたいと思い、その理学療法教育に定評のあったパースの大学に留学しました。留学は単身ではなく家族と一緒でしたが、慣れない地での海外生活や不自由だった英語での学習、そしてその先のオーストラリア移住について野澤さんにお話を伺いました。
 
 

<日本で理学療法士として働き、オーストラリアで理学療法学を学んだ野澤涼さん>
 
 

【日本にて】

 
日本ではどのようなお仕事をされていたのですか?

野澤さん:「理学療法士、英語表記ではPhysiotherapist(フィジオセラピスト)として8年半くらい働いていました。理学療法士は日本でもオーストラリアでも国家資格で、日本では大学か専門学校、オーストラリアでは大学で専門科目として学んだ後に資格を得ることができます。勤務先は、怪我や病気によって救急車で患者が運ばれてくる東京の急性期病院で、骨折後などの整形外科の患者さんや脳卒中後の患者さんを主に診させて頂いてました。」
 

<医療機関や高齢者向け施設、また地域の保健センターといった地域の施設が理学療法士の活躍の場ですが、野澤さんは医療機関での勤務でした(写真はイメージ)>
 
 
なぜ、日本で理学療法士を目指されたのですか?

野澤さん:「高校生の時に進学先の大学を決めるにあたって、ずっと好きだったサッカーに関わる仕事がしたいと思って探していたところ、理学療法士という職業を知りました。理学療法士は人間の動作を評価することで、その人の抱えている痛みや体のある部分の動かし難さといった問題を表面化し、徒手的な介入やその人自身でやってもらう運動を通してパフォーマンスを改善、向上していくのをお手伝いする職業で、高校生当時はサッカーで怪我をした選手や更にプレーを向上したい選手の何か役に立てたらなと考えていました。」
 

<大好きなサッカーに関われる仕事が理学療法士だったという動機で進学、就職をした野澤さん(写真はイメージ)>
 
 
日本で理学療法士としてお仕事をされている時、海外留学を思いたったきっかけをお聞かせ下さい。

野澤さん:「日本で、理学療法士として働きながら自分でできる、日本の学び方では系統だった学びができずに、知識、技術の積み上げがうまくできていないと感じていました。というのも日本の僕が大学で受けた理学療法教育では、患者さんの主訴、主な問題点を聞く問診と、どこが原因でその患者さんの問題が起こっているかを探る理学療法評価、そして治療へのアプローチという流れについて系統だっていなく、働いている職場の環境であったり、そのセラピストの興味によるところから偏りがある傾向にありました。そのために僕自身も働いていくうちに自分のやっていることが、何か一本筋が通っていないように感じていました。調べたところでは、お話した一連の流れ、医療用語でクリニカルリーズニングと言いますが、それを学ぶことができるのが海外だったので、海外留学を決意しました。日本でも勘がいい人は普段の仕事の中から自分で作り上げていくことができるのでしょうが、僕はどちらかというとシステムに当てはめたものを学び、そこから自分の色を出していくほうが向いているなと感じたのも海外留学の挑戦のきっかけでした。」
 
 
留学先の選定について、なぜオーストラリアのパースだったのですか?

野澤さん:「理学療法を系統立てて学術ベースで学べることに定評があったのが、オーストラリアでした。そして、中でもパースのカーティン大学の理学療法学科は、オーストラリアの中でもトップクラスと称されていたことと、日本をはじめ他の国で理学療法士の資格を既に持っていると、トータル4年で学ぶ最初の1年目が免除されるという利点もあったからですね。しかし、1年留年してしまったためそのメリットはあまり活かせませんでしたが(苦笑)。」
 

<スポーツ大国のオーストラリア、フィジオセラピーでも先進国の一つと言われています(写真はイメージ)>
 
 

【家族移住】

 
海外留学を決意した時、ご家族との移住について何か障壁はございましたか?

野澤さん:「特になかったです。妻に最初に『行ってみたい』と言った時もすぐに賛成してもらいました。」
 

<パースへ発つ前の野澤さんの2人のお子さん>
 
 
実際、奥様とどんなことをご相談されたのですか?

野澤さん:「日本で理学療法士をしていた時に給料が元々そんなに高くない上に増えることがないという状況の中、オーストラリアでは給料や休みの面でも日本とは違い、より良い仕事環境があると聞いていたので、その点も話し合っていました。また、子どもたちの将来を考えた時に英語が必要になってくると考え、その点もですね。」
 
 
海外での子育てについては、どのように考えてらっしゃったのでしょうか?

野澤さん:「『英語を話せるようになってほしい』というのと、日本にいるとほぼ日本人にしか会わないという環境ですが、オーストラリアは移民の国だと聞いていたので、いろいろな文化の人と接することも子どもたちの将来に役立つだろうと考えていました。だた、海外に移住したとしても、両親が2人とも日本人なので日本語もせめて会話だけはしっかりできるようになってもらいたい、簡単な読み書きもできるようになってほしいというのはありました。」
 

<2人のお子さんには英語が話せるようになってほしいけど、日本語でも会話ができるようになってほしいと願っています>
 
 
移住する前に最も希望を抱いていたことは、何でしたか?

野澤さん:「家族との日本での生活は特に困ることもなく楽しく過ごせていたので、移住する前に最も期待していたことは、自分の勉強や仕事のことでした。日本で働いていて、患者さんの人生の一部に関わっているのに十分に貢献できていないジレンマをずっと抱えていて、相当なストレスと絶望にちかい気持ちを毎日感じていました。そんな気持ちを引きずりながら解決することなく、時間の流れと共になあなあになっていくことが許せなかったんだと思います。なので、“一からもっとまともなセラピストになれるように勉強したい”が一番の希望でした。」
 
 

【海外生活】

 
いざ、海外生活がスタートして、楽しかったことは?

野澤さん:「スタートして楽しかったことはそんなになかったです(笑)。今思えば、特に最初の頃はいつも家族を困らせてはいけない、と緊張していたような気がします。妻も環境に慣れていないし言語も分からないため、一人では行動できない。僕自身も英語が不十分な中でこの3人を少しでも不安にさせてはいけない、と思っているんだけど自分自身が十分に慣れているわけではないので日本にいた時のようには振る舞えない、とひとり心の中でいつも焦っていたような気がします。それと、気が張って余裕がないために、来てばかりの妻にもうまくフォローできず、辛く当たっていたような気もします。当然なんですが、お店とかで店員さんとうまくコミュニケーションが取れない妻を見て勝手にイライラしたり。そこでうまく英語でサポートできない自分の自信のなさの現れでもあるんですが。精一杯に準備したつもりが、やっぱり実際に暮らしてみると足りなかったんだなと悔しい気持ちによくなりました。」
 

<パースに来たばかりの野澤さん家族>
 
 
お子さんたちにも変化がありましたか?

野澤さん:「子どもたちも小さいながら環境が変わったというのは分かっていて不安な様子を見せていました。今ならどこに何があるか分かりますが、当時は何も知らないので全部手探りでした。子どもがいる人に会った時は常に子どもの遊び場の情報収集をしていました。動物園やScitechとよばれている科学館などの情報を聞いては、手当たり次第行きました。お金に余裕があるわけではないのに子どもたちをなるべく楽しませたいと必死でした。特に上の子は4歳で、それまで保育園や幼稚園にずっと行っていたので、それがなくなり親とずっといないといけないという環境が初めてだったので、目に見えてストレスを感じているのが分かりました。ただ、幸い来て2ヶ月ほどで家の近くに毎日通わせられる幼稚園を見つけられたので良かったです。当時のことを聞いても上の子は全然覚えていないと言っていますが(苦笑)。また、幼稚園後の小学校でも、場所は違いましたがすぐに見つけることができ、翌年から小学校準備教育学年のPre-Primaryに通うことができ、学校探しでは恵まれていました。」
 

<イベント行った時の子どもたち>
 
 
日本との生活で、大きく異なったと感じたことは?

野澤さん:「日本は本当に便利な国だなと。それまでは、毎日のようにコンビニに行ってちょっとしたものを買ったり、立ち読みしてとかをしていたのに、気軽にそういうことができないとか、小さいことですが・・・。また、娯楽の種類が全然違う。日本は物が溢れているし、いわゆるエンターテイメントが溢れているけど、こっちはもっと自然を楽しむとか、家族や友達と過ごす時間を大切にしている、と周りの人を見て気がつきました。なので、時間のできた時はインターネットでよく子ども向けの無料のイベントを探して、毎週のように連れて行っていましたね。」
 

<常にイベント情報をリサーチしながら子どもたちにエンターテインメントを提供し続けていました>
 
 
お子さんの教育面で、日本より良かったことは?

野澤さん:「良かった点は、やはり英語といろいろな国、文化の人が混じっている環境で過ごしていることだと思います。パースに来たばかりで娘が1歳くらいでしたが、インドからきた人が娘を抱っこしようとした時に娘が嫌がった、という話を妻から聞きました。それまで娘は日本人環境で育ってきたので、そのインド人が今まで見てきた人と見た目が違うというのを無意識で感じたらしいのです。それが徐々に無意識でなくなっていくのと、10代、20代と年を重ねて慣れていくのとでは大きく違うと思っています。」
 
 
では逆に、苦労されたことは?

野澤さん:「苦労していることは日本語です。日常で日本語を話している時、英語の単語を混ぜて話している時があります。日本語よりも英単語を使った方が本人たちは楽なんだと思います。そんな時は、いちいちその英単語が日本語でどういう意味なのかを言えるようにさせています。あと、漢字が2個つながっている言葉は使えない、使い難いようなんです。それは、漢字を書く機会が少な過ぎるというのに関係していると思います。例えば、この前もふりかけのパッケージに“~風味”と書かれていて、“風”と“味”は個別に読めてわかるとしても、“ふうみ”という意味がわからないということがありました。親としてももうニュアンスで理解していることなので「~っぽいってことだよ」などの説明になってしまいます。なので、漢字を勉強していく中でドリル的なことを繰り返すのと同時に普段使わない分、逐一意味の説明、使い方を教えていかないと全然学習にならないんだなということがわかりました。」
 

<2018年1月のOptus Stadiumの「Open Day」に家族で訪れた時の記念写真>
 
 
仕事環境について、日本との違いは何を感じましたか?

野澤さん:「まだ実際に働けるところまでビザの関係でいっていないので何とも言えませんが、実習などでセラピストが働くのを見ていると、圧倒的に違うのは帰宅時間だと思いました。日本では患者さんへのアプローチが終わって、カルテを書いたりなどの作業があったので、夜の7時、8時までかかるのは当たり前でしたが、こっちでは病院勤務であれば4時過ぎにはきれいにみんないなくなっています(笑)。子どもを持っている人には理想的だなと思いました。」
 
 

【海外留学】

 
パースでの勉強が始まり、予期していなかった、実際に起こってしまったことはありましたか?

野澤さん:「まず英語で自分のこともままならないのに、当時4歳の長男と1歳の長女のことも考えなければならなかったので、自分の学業に100%集中することができにくかったです。大学と家のことを割り切って考えられるまでに時間がかかりました。もともと日本にいるときは、子育てや家事を妻となるべく半々でやっていましたが、それをオーストラリアでやったらどちらも中途半端になってしまい、妻と子どもたちには申し訳なかったですが、学業を中心にしたスケジュールの組み立てに直しました。実際に留年もしてしまい、そこから時間の組み立て方を変えていきました。」
 

<野澤さんの大学登校模様>
 
 
日本とオーストラリアで学習するにあたり最も大きな違いは何でしたか?

野澤さん:「専門的なことになってしまうのですが、わかりやすいところで言うと卒業の基準だと思います。日本では卒業時点で一人では治療ができないけれど一通り経験しているので治療に対して考えられるところまでできます。しかしオーストラリアでは、いちセラピストとして働くことができるというレベルまで卒業時点で求められるので、卒業の基準で考えたらオーストラリアの方が高いと思います。ただ、日本のセラピストは卒業後に自身で勉強していくので、そこから伸びていく感じがします。」
 

<留学当初、英語での学習は予想以上に大変だったそうです>
 
 
日本で既に現場に立たれて働いていたことが、こちらの学習に活きたことなどありましたか?

野澤さん:「日本とオーストラリアにて学習内容は大きくは違いませんが、日本での勤務経験は英語で学習する上で余裕をもたせることはできました。ただ、その英語はいつも苦労していましたが(苦笑)。あとは、患者さんとの距離の詰め方でしょうか。言語や文化は違っても、セラピストとして患者さんの話を聞く、貢献していくというのは一緒なので、患者さんと仲良くなる、関係を築くという経験があったのは言語のハンデを大きく補ったように思います。実習中も『あいつ、話すのはたどたどしいけど、患者さんとはコミュニケーション取れているし、やることはやっている』と言われていました。」
 

<お友達に協力してもらい自宅で実習する野澤さん>
 
 
日本の理学療法士と海外のフィジオセラピストの立ち位置を教えて下さい。

野澤さん:「理学療法士は、日本では全く知名度のない職業だと思います。未だに職業名を正確に覚えてもらえないとか、患者さんも“リハビリの先生”といったようなイメージをもっている人が多いと思います。ただ、一般の方がリハビリの先生と患者さんといった感じで思っているのは問題ありませんが、専門職として考えた時にそこは問題で、そういうところが日本における理学療法士の賃金の低さ、社会的地位の低さにつながっていると思います。また、診断もできませんし、医師の指示の元、患者さんにアプローチをするということになっているため日本では開業もできません。『フィジオ=マッサージ』のようなイメージがあるとしたら、それは日本文化が背景にあるのか、もしくは他の国の影響があるように思います。一方、オーストラリアでは開業もできますし、フィジオセラピストに対する認知度が世間一般に高く、『フィジオセラピーを勉強している』と言ったら、フィジオセラピーが何かを知らない人はいませんでした。オーストラリアのローカルの人は、自身の身体の問題をフィジオセラピーで解決し、セラピストから自主運動の処方も出してもらい、フィジオセラピストと共に自身の身体を治していくという意識がある方も多いように思います。」
 

<オーストラリアでは多くの人にフィジオセラピーは浸透しているようです(写真はイメージ)>
 
 

【コロナ禍中】

 
今回のこのコロナ禍中でご自身の就学にはどのように影響を及ぼしましたか?

野澤さん:「実習に関しては幸い大きな影響がなく終えることができましたが、卒業試験が急遽1ヶ月早まり、しかもそのアナウンスが来たのも、実施日の1週間前でドタバタと準備した感じでした。幸い合格していて良かったです。」
 

<日頃からオンラインで学習することが多かったようですが、コロナ禍中では更にオンライン学習が増えたそうです>
 
 
卒業後の進路でコロナ禍はどのように影響しましたか?

野澤さん:「ビザのプロセスが遅れているのと、特にコロナで外出制限が出ていた時は就職の募集がほとんどなかったです。募集の数も徐々に戻ってきているようなので、ビザが下りて働けるようになった時に第二波が来なければいいのですが…。」
 
 
コロナ終息にはまだ時間がかかりそうですが、理学療法士、そしてフィジオセラピストとして今、また今後はどのような活動をされる予定ですか?

野澤さん:「実際のフィジオセラピストとしてオーストラリアで働いていくのと同時に、日本のセラピスト向けにオンラインにてこちらで得た経験や知識を伝えるという目的で講師の活動もしていく予定です。そして、コロナ終息後は実際に日本に一時帰国して、直接受講者にオーストラリアでの自分の学んできたことや経験を伝えたり、またいろいろな理学療法士の養成校を回って、“海外進出という道もあるんだよ”というのを直接学生さんにお伝えできたらと思っています。行った先で、その土地その土地の美味しいものも食べたいとも思っています(笑)。あと、もう実際に始めていますが、Youtubeを通して日本とオーストラリアのいろいろな違いを伝えていきたいと思っています。これはどちらかと言うと、本当に自身の経験を踏まえた体験談をシェアさせて頂くといった感じです。Youtubeに関しては、オーストラリアのフィジオセラピーについても発信しています。もし宜しければ是非、ご覧ください!」
 

<ご自分のYoutubeチャンネルでオーストラリアのフィジオセラピーをはじめ、オーストラリアの文化紹介もしている野澤さん>
 
 

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野澤 涼(のざわりょう)

野澤 涼(のざわりょう)

国際医療福祉大学理学療法学科を2004年に卒業後、約8年半、理学療法士として急性期病院で働く。そして、2014年に家族と共にオーストラリアのパースへ。2015年よりパースのカーティン大学の理学療法学科で学び、2020年に卒業。日本の理学療法士、オーストラリアのフィジオセラピストの有資格者。







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