Road to スーパー14
ウェスタン・フォース
2001年 |
SANZAR(South Africa New Zealand
Australia Rugby、スーパー14主催の団体)により、オーストラリアと南アフリカで1チームずつ追加する計画が始まる。 |
2002年 |
西オーストラリアに運動団体ができ、新チームのパースへの誘致が始まる。
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2004年 |
[12月10日]西オーストラリア・ラグビー協会がビクトリア・ラグビー協会を退け、2006年からのスーパー14にはパースから新しいチームが出場することになる。
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2005年 |
[2月16日]新しいチームの理事長に、Commonwealth
Bank General Managerの Peter O'Mearaが就任する(新チームの監督に、元ニュージーランド代表監督のJohn
Mitchellが決まる)。
[4月5日]新チームの選手第1号は、ワラビーズ代表(ラグビー豪州代表の名称)のBrendan
Cannon。
[4月19日]バーズウッドリゾートでチーム名が決まる。 [7月上旬]新チームの選手がほぼ決まる。
[7月5日]ユニフォームの発表、およびNaming Rights Sponsor(命名権/メインスポンサー)にEmiratesが決まる。
[7月中旬]会員登録が開始する。
[7月下旬]会員登録数が13,000件を越え、オーストラリアにあるスーパー14のチームの中で、最多の会員を誇ることになる。
[10月3日]全体での初のトレーニングが行われる。 |
2006年 |
[2月10日]The
Brumbiesとのホームでの試合でスーパー14デビュー。 |
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メディア&コミュニケーションマネージャー
Tom Baddeley氏が語るウェスタン・フォース
— スーパー14に今年新たにウェスタン・フォースが加わりましたが、チーム設立の際の最も大きな障害は何でしたか?
「そうですね、やはり競合都市・メルボルンとの招致合戦に勝つこと、そのためにどんな誘致作戦を考えるかということでしたね。メルボルンはオーストラリアのスポーツ都市として評判があるし、資金もあり、西オーストラリアより人口も多い。ですから、私たちはオーストラリアラグビー協会に対して、パースはメルボルンよりチームを持つのにふさわしい街ですよ、としっかりと説得する必要があったのです。それは私たちが越えなくてはならないとても大きなハードルでしたが、地元の方々や多くの団体、会社、そして州政府など多方面からのご協力を頂き、こうして誘致に成功することができました。」
— ウェスタン・フォースの後援会の会員数はスーパー14のオーストラリアチームの中で1位ということですが、サポーターがウェスタン・フォースに期待していることと、今後サポーターと築いていくべき関係について教えて下さい。
「パースの人達は、地元にプロのラグビーチームが誕生するのを長い間待ち望んでいました。そして願いがかない、皆さんとても喜ばれていますし、地元チームには強豪チームであってほしいと望んでいることでしょう。ご期待通り、ウェスタン・フォースは必ずや成功します。しかし、成功というのは、長い時を経てつかめるものです。それまでに1年2年…、5年掛かるかもしれません。そのために私達は、現実をしっかりと見据える必要があると思います。サポーターの人達にも、きっとご理解いただけることでしょう。数ヶ月前の発足以来、こうしてたくさんのご声援を頂いているのは、とても光栄なことです。私達は一丸となって力を尽くし、試合に勝つことで、サポーターの皆さんのご期待にお応えしたいと思っています。」
— 西オーストラリアラグビー協会がスーパー14への参加を決めた主なきっかけは何でしたか?
「それはやはり、西オーストラリアラグビー協会の人々のラグビーに対する愛情がとても強く、深いものであるからだと思います。ラグビーは世界中でプレーされていて、人々に広く親しまれ、愛されているスポーツですから、スーパー14への参加を通し、広く国際的かつ充実した規模で、より多くの皆さんに熱く応援していただけることでしょう。」
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