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それでも生きる
Vol.170/2012/03

最終回 「魚島の挑戦 離島と山村と憲法と(下)」 藤井 満


佐伯真登 前村長 「島四国」の地蔵

佐伯真登 前村長

四国八十八カ所のミニチュア版「島四国」の地蔵が
あちこちに立っている


 平成の合併の最中、80歳を目前にした稲葉峯雄は、過疎と高齢化に悩む山村を歩き続ける。
 2002年秋、石鎚山麓にある相ノ峰(久万高原町)という13戸23人の集落の地区集会に臨んだ。
 「公民館に卓球台を置いたら閉じこもりがちだった住民が集まるようになった」「ヘルパー資格をもつ女性が血圧計を買った」「共同風呂があったら水や経費も減るし、風呂の空だきもしないですむ」……といった意見が次々にあがる。
 「露天風呂でも作ったらどうですか。ヘルパー資格をもつ人がいるんだから、集落でデイサービスをやったらいいんよ」と稲葉は助言した。
 語り合うことで集落の課題を浮き彫りにする。さらに一歩進んで「みんなで露天風呂を作ろう」と動き出せば、地区診断後に簡易水道を住民の手で作った、かつての下大野地区の活動の再現になる。「大きな施設はいらない。一人暮らしの老人の家をグループホームにしてもいい。そういうものを求める住民活動が生まれ、行政がほんのちょっと支援する体制ができると光が見えてくる」と稲葉は訴えた。
 住民の「自立」への意思と「ほんのちょっと」の行政の支えがあれば、老いてもムラに住み続けられるのである。


 魚島村は04年秋、四町村合併で上島町となった。08年1月、稲葉は松山市の自宅で魚島村の選択をこう評価した。「昭和30年代の離島青年の活動が、魚島の元気を作り出した(今治市とではなく)。小規模合併を選べたのもその活動があったからです。ムラとヒトの自立を考える上で勉強になる島ですよ」
 私が魚島を訪ねたのは4カ月後の5月8日だった。
 インタビューの後、佐伯に島を案内してもらった。集会所には調理室があり老人が集う。港務所には、2週間に一度散髪屋が来る。有床診療所はあるが、「みんなが親戚みたいに助けあっとる。島全体が老人ホームみたいなもんじゃ」という意見が圧倒的だから老人ホームはない……。
 ヘルパーやデイサービスといった「ほんのちょっと」の支えがあれば、大半の老人が島で人生を全うできるだろう。だがその「ほんのちょっと」のニーズを知るには、住民と行政が徹底的に議論しなければならない。その意思と力が、合併後の上島町の役場にあるのかどうか……。

 稲葉は、「あきらめ」が蔓延する農山村に「憲法」という肥やしをすき込むことで「自立」の芽を育み、その芽を横に繋げることで、現状を変革する力を生み出そうとしてきた。稲葉や佐伯のような存在は、無気力に覆われる現代にこそ必要なのではないだろうか。
 島で一日を過ごし、夕方の高速船で島を離れる直前、佐伯が息せき切って駆けてきた。「これを見てください」と新聞の社会面を指さす。
 「稲葉 峯雄さん(今治明徳短大名誉教授)7日、肺炎で死去、84歳」
 ついさっきまで蒼く晴れわたっていた空は暗い雲が垂れ込み、鏡のように白い雲を映していた海には、白波が立ち始めていた。

(了)