第3回 「逆境の中で」 柴田 大輔
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ニンジンの出来を確認する田口さん。 |
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震災直後、ある芸能人が東北へ物資を送るという企画に食材を寄付した。これが飯島さんと田口さんにとって最初の協働作業となる。その後、各地の復興支援イベントに直接出向き、産地をPRして歩いた。強い危機感が2人を具体的な行動へと動かした。
7月以降は本来の仕事に集中する。研修生も戻り、徐々に価格も震災前に近づく。お互いの畑・設備を利用しあい、協力体制を整える。9月には、「鉾田ファーマーズコーポレーション(H.F.C)株式会社」を立ち上げた。「生産や出荷の回転を上げたい。規模を拡大するには人手がいる。就農を希望する若い人材の経験の場にもなれば」と話す。時折、仕事終わりに一杯やる。「オレ達には夢がある。特注したベンツのエンブレムを、うちのトラクターにつけることだ」ほろ酔いの田口さんが冗談を飛ばす。
状況は落ち着いてきたように見える。しかし、未だに続く原発事故の中、「もう一度出荷停止になったら」という不安がある。田口さんの仕事に何度か立ち会わせていただいた。田口さんはニンジンを手掛けている。夏の炎天下の中、黙々と土を耕し、種をまく。腰にはいつも、土がしみ込んだサポーターを巻いている。汗に濡れたTシャツから肌が透けて見えた。
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ある日、こんなことを聞かれた。「柴田くんは放射能測るやつって持ってないの?」私はそれまで、放射能の話題を避けてきた。問題の矢面に立つ人に対し、当事者ではない自分がどういう立ち位置で話せばいいのか分からなかった。どきりとした。こうして、何事もなく畑に向かっている様にみえても、心の内には強い不安を抱えていることを知った。
周囲には人手が戻らず、現在も昨年の10分の1にまで収入が落ち込む農家がいる。損害補償は出たものの、それはマイナスがゼロに近づいただけだ。今後迫る設備投資のローン、昨年の収入に対する税金の支払いに頭を悩ます。また、話題となるTPP(環太平洋経済連携協定)は、「世界」という暴力的な価値観を突き付ける。
農家を巡る環境は激変している。その中にあっても、日々の仕事は土に向かうこと。黙々と繰り返される。大袈裟なことは何もない。これが私たちの生活を、根底で支える人たちの姿だ。
11月のある日、飯島さんから連絡があった。これから都内で、野菜販売をするという。私は仕事の都合で行けなかった。申し訳ない思いとともに、声をかけてもらえたことが嬉しかった。目の前の仕事に向かいながら、ふと、震災がなかったら出会うことがなかった人たちに、ほんの少しだが寄り添わせてもらえていることに、不思議な思いが湧いた。今、東京のどこかで、自慢の野菜を介してお客さんと会話している2人を想像した。諦めていない。私は人間の強さを感じた。